青しそのコチジャン漬けがあればご飯がすすむ。
新米炊き立てのあついメシを葉でくるみ頬張る。指先についた醤をなめる。青しその香りがきおいたつ。
ただの葉っぱがただ芳香をもったばかりに貪り食われる。
いじらしい恰好の良い、葉っぱ葉っぱした紫蘇の葉が愛おしくなったきた。なんと哀れなのだ。
食うのをやめて句作にかかる。
青じそはカオリがよくて食べられて
単なる説明だな。青果店のおにいちゃんの話を聞いている風景にすぎない。
「芳(かんば)しくして」とすれば、おにいちゃんのコトバではなくなるもののパンチが無い。
青しそはカオリをよくして食べられて
「し」をいれて、香りをよくした努力が仇になった、感じにしてウラミゴトの口調にしてみた。う~ん…実にくだらん。
あおしそはかおり育てて食べられて
「育てて」という文言に母の愛を盛り込んだってことだが、ハテ…ソッポだなあ。
ちょっと方向をかえてみようか。なまじ香りがあるばかりに喰われる運命になった。匂いなんか無ければよかったんだ、という方向から。
なまじ香があったばかりに青紫蘇葉
「あれば食われる」「あって食われる「あるだに喰わるる」「あるばかりに喰わるる」
青くてもあるべきものを唐辛子 芭蕉
類句としてお手本になる。これを下敷きにして、こう…っと、
香(か)のせでにあるべきものを紫蘇の葉は ウロ
どうやら知恵の限界にさしかかったようだ。これ以上時間をつぶして得られた成果に経済的価値ありや? ない? そろそろまとめるか。
香の立つややがて食はるる紫蘇二葉 ウロ
香(こう)のせずあるべきものを刻み紫蘇 ウロ
なまじ香があれば食わるる紫蘇二枚 ウロ
呻吟半時、〈香の立つや〉にした。
場を食卓から庭に移した。旧かなにした。
風に揺られている紫蘇である。葉はまだ茎にくついている。
無心のそよぎにあって薬味になる運命が哀れである。
炊き立ての飯はすっかり冷めていた。
茶漬けにするか。
帰ってきた家人に、メシをジャン〆の紫蘇葉でくるむ韓国菜は何と言ったかね、と尋ねたら、あれは紫蘇じゃありませんよ、蕗(ふき)ですよといわれて仰天した。
故をもって上記のブログはすべて取り消します。
やれやれ…
アメブロの仕様が変わったと見えてテープを貼りつけたようになっている。ブラックモードは文字が白抜きになるはずだが?? そうはならない。困ったもんだ。