寂聴さんの「ばかども」発言について『めたさんのブログ』から転載 | ouroboros-34のブログ

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こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

『マスコミが大衆をアジるひとつの例』(2016-10-13)に対して、めたさんがご自分のブログにご意見を出されました。めたさんのご了解を得たので、そのまま下記に転載致します。


  《――読売新聞「編集手帳」筆者に伝えたいこと――》 (2016-10-14 21:11:39)

10月12日、読売新聞朝刊「編集手帳」を再掲します。
 
ーここから引用ー
菊池寛の句を思い出す。<故人老いず生者老いゆく恨(うらみ)かな>。青春を知らず、恋を知らず、遺影のなかで子供たちはいまもあどけない表情のままだろう。大阪教育大付属池田小学校で8人の児童が凶刃の犠牲になった事件から15年がすぎた◆犯人の男に死刑判決が言い渡されたとき、遺族は「〝8人の天使たち〟の親の想(おも)い」と題する共同談話を発表している。一日も早い死刑執行を願う、と。その人にいわせれば、これも〝ばかども〟の談話になるらしい。◆「殺したがるばかどもと戦ってください」。死刑制度に関するシンポジウムに瀬戸内寂聴さんがビデオメッセージを寄せ、死刑廃止論者を激励したという◆殺したがるばかならば、殺人狂だろう。肉親を理不尽にも殺された遺族が加害者に命で償ってもらいたいと願ったとして、どうして殺人狂呼ばわりされねばならないのか。死刑廃止に傾ける熱情には敬意を表するが、心ない発言といわざるを得ない。◆「あなたのお父さんやお母さんは、ばかです。死刑で人を殺したがるばかどもです」。心が痛まぬのなら、遺影の目をみつめて語りかけてほしいと思う。
ーここまで引用ー
 
去る10月12日の「編集手帳」をプリントし、授業で使わせてもらいました。その日の朝の読んだ印象をブログ「無理題に遊ぶ」に書いたのですが、それに対してコメントが寄せられた。長くなるので、このブログで、授業の内容その他を書き留めておきます。
 
① 私は、いつも、生徒に、「400字ぐらいの文章を書く場合、最低二つの材料を持っていなければならない、そのためには、面白がったことについて、必ず、もう一歩入れ。」と「複眼学習」を指示しています。
 
この文章の場合、一つは、「大阪教育大付属池田小学校の遺族の思い」であり、もう一つは、「菊池寛の句」が材料になっています。
後者<故人老いず生者老いゆく恨みかな>の「恨み」は、生者の「恨み」でもあり、「早世せざるを得なかった故人」の「恨み」でもありましょう。「生きていたら今どう成長しているか」と考える遺族の「恨み」とであり、このコラムの一つの材料に使われています。私はこの点に問題はないと思います。

② 「その人にいわせれば、これも〝ばかども〟の談話になるらしい。◆「殺したがるばかどもと戦ってください。」死刑制度に関するシンポジウムに瀬戸内寂聴さんがビデオメッセージを寄せ、死刑廃止論者を激励したという◆」

はじめ、「その人」と氏名を明らかにせず、すぐ後で、氏名を明らかにするという一つの技法は参考になるが、えげつないやり方であまり使うなと私は生徒に伝えました。
 
③ 前記に続いての部分、「◆殺したがるばかならば、殺人狂だろう。」これは、言い過ぎ、論理の飛躍です。こういう断言はくれぐれも注意するように。
 
④ ◆「あなたのお父さんやお母さんは、ばかです。死刑で人を殺したがるばかどもです」。心が痛まぬのなら、遺影の目をみつめて語りかけてほしいと思う。
「心が痛まぬのなら」とは、「誰の心」を筆者は考えているのでしょうか。おそらく「瀬戸内寂聴さんの心」でしょう。とすると、厳しすぎる、これはすごい表現。驚きました。
 
生徒にこの「編集手帳」をプリントし、配布して、こんなことを、生徒とのやりとりを含めて話しました。
 
私は、これまで、「無理題に遊ぶ」のブログで、出版社といくつもやりとりしてきました。文藝春秋社、岩波書店、集英社インターナショナル、右文書院など、いずれも、誤った点について指摘しても、「『なし』の礫」です。また「援軍も来たらず」。
 
そこに、こんな、はっきりした主張の文章でした。思わず、「感動した」と書いてしまいました。
 
しかし、今日、ネットで知りました。10月7日には、既に日弁連はこの「瀬戸内寂聴のテレビメッセージ」について、釈明していること。また、10月14日、朝日新聞の朝刊で、瀬戸内寂聴さんが釈明していること。
 
今、ここにその朝日新聞のコラムは持っているのですが、本当につまらない寂聴さんの釈明です。としたら、ネットで大騒ぎになった元凶は「週刊文春」ならぬ「読売新聞『編集手帳』でしょうか。
 
私は、ウロさんと同じく、死刑廃止論者ではありません。しかし、メディアに踊らされたくありません。
 
このブログでお騒がせしたのなら、深くお詫びいたします。
 
また、コメント、有り難うございました。


以下はウロのコメントです。

菊池寛の句について。
俳句については日頃「ひとつの解釈にこだわるべきではない、ひとによって別の解釈ができるのもおもしろい」と主張していたのに、今回は自分の解にこだわっていました。或いは文脈上、自説に誘導しようとした下心があって判断を誤らせたのかもしれません。
全くご指摘のとおりでウロの考えが浅かったといわざるを得ません。いい勉強になりました。

瀬戸内寂聴さんの「殺したがるばかども」発言については日弁連が謝罪し、寂聴さんも朝日新聞で釈明しているとのことですので「まさかのホントウ」なのでしょうが、ウロ自身信じられない思いですので資料に当たってから報告したいと思います。

めたさんの出版物の正当性に対する飽くなき探求と冷静な判断にはひごろ敬服するものです。
今後ともよろしくお願いいたします。