前回の「子供が心配」という記事で
かって僕自身が母に
「俺のことにかまけないで、あなたは自分の事をやれよ!!」
と怒鳴った事があると書きました。
それでどうなったと思います?
何も変りませんでした。
母もですが、僕自身もです・・・。
物理的に「共依存関係にある者」を離れさせ
お互いが「自分自身の生に向かい合う形にすることで」
自分の課題(=自分の人生です)を強制的に引き受けさせ
「回復への道に繋がることがある」という例を書きました。
ところで「不安」という言葉の反対語は何だと思いますか?
「安心」? 半分正解ですね。
それは状態について言っているに過ぎません。
「不安」に対する、積極的で、現実に有効と思われる態度を含む反対語は「信頼」と言えます。
《信頼は相手の生を相手に任せることで
相手の力を信じ、自分の不安に流されないという自覚的な態度です。
白紙委任状と言えます。
どうぞ、あなたの思うようにおやりなさい。
私はあなたがどのような過程で、どんな結果を出しても支持します。
ということです。
この信頼に似ていて、全く違っているもの・・・
信用という言葉があります。
信用は相手に任せるのではなく、自分の注文を相手が履行する事に拘泥しています。
白紙委任状ではなく「債券」です。
債券を発行しているから
相手が履行できるかヤキモキするのです。
子供が心配(正しくは、自分が不安)→実は子供に債券を発行してるからなんです。》
(とはいっても親子の関係で、子供さんが小さければ小さいほど、相手に任せ切るという事が出来ない局面は大きいのも確かです。
乳幼児は自分の事をまだ自分が出来ませんからね。
ですから技術が要ります。
いずれ書き綴って行きます。
ただね、いつまでも「親が自分の子どもを、赤ちゃんだったり乳幼児に見ているかもしれない」
ということはあります。)
共依存関係にある親子では、
「親はいつまでも子供を信頼せず、世話焼きをしたがります。」
「子供は自分のしたいようにしようと感じる反面、いつまでも親に面倒を見てもらわなければどうにもならない自分」という「アンビバレント(両価的な生)」なところで躓いてしまいがちです。
気がついた方から「自分の生を、まず自分自身が生き始める事です。」
どういうことかと言いますと
僕の場合 「俺のことにかまけないで、あなたは自分の生を生きろよ!!」と怒鳴っているうちは
母も僕も変わりませんでしたが
《僕が、彼女を相手にするのではなく、
自分を受け容れ、僕自身の生を生き始めたなら
「彼女は僕を見て、安心しはじめ、自分の事をし始めた」のです。》
簡単に書いていますが、そうなるまでに彼女だけではなく僕自身の抵抗がありました。
僕のアルコール依存症も
自分からすると「現実からの逃避」でありましたが
母からすれば「いつまでもあたしが面倒を見てあげなきゃならない子」を僕が実現していたとも言えます。
いつまでも「共依存関係で居よう、《そこ、コンフォート・ゾーン》に留まろうという無自覚な生からの抵抗です。」
母は子離れ(それに先立っては自身の親離れ)、僕は親離れしようとしなかったと言う事です。
「信頼」できない人(しようとしないというのが正しいのです)に
「信頼しろ」と言ってもどうにもなりません。
さっさと自分の生を自分が生きて輝いていくと
不安の塊のようだった彼女が 安心しだしました。
(やれやれっちゃあ、やれやれですが。)
親への恨みを手放せるようなら、そのほうが良いというのも
こうして自分が自分を引き受け、生きていく上で必要なことだからなのです。
無理苦里に「赦しましょう」と発信したのではないのです。
現実、苦しいところにいる方に「親への思いを手放すべき」など言えません。
段階が在って当然です。
「今は棚の上に上げておいて、向き合える日が来たならそうしよう。」
それで良いのです。
その人には「その人の時」があります。
今でも、母は僕にかまけようとし、入り込んで来ようとしますが、そこは僕が穏やかに毅然として断わります。
もう「感情を爆発させて締め出そうとするような事はしません」
それは相手の共依存に反応し、巻き込まれていると言う事でしかないのです。
こういう見えざる構図に気付き、自分を生き始めて、回復、成長して来たと言う事です。
子供さんに「自分を好きな大人、みんなとたくさん分かち合える大人、大好きな事を自分で見つけて進んでいく人」になって欲しいと考えるなら
「ご両親がそう生きることです」
技術はあくまでその土台があってこそです。
そしてあくまで相手の事は相手の事。
操作しようとしないことです。
子供でも、職場の同僚でも、配偶者でも
「共同の課題ではないなら」
相手の事は相手に考えさせ、決めさせ、実行してもらいます。
その結果も「あなたが背負うのではなく、相手に受け止めてもらうのです。」
そういう関係にし、それを伝えるために技術が要るのです。
自分の無自覚な生だけでは、行き詰まりがあって当然です。
当たりまえっちゃあ、当たり前でしょ?
その人の人生は「その人が責任を持つ」。
それが基本です。
「相手を変えたいなら、まず自分から・・・」
でも、相手が変わる事を目的にはしない。
相手がどういう在り様であれ、それは相手の自由。
その人に任せること。
あくまで、自分が自覚して主体的に自分を生きること。
それで相手が変わるなら、それでよし。
長々と書きましたが、
自分が輝いているなら、周りも輝いて行く。
ということなのです。
MindExpander梅