『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」 -12ページ目

『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」

心が「こって」はいませんか?「 MindExpander~心のストレッチャー梅」 あなたを心の水平線に御案内します。あなたの心を解きほぐし広げます。空を行く雲のように悠々と往きたいものですね。梅はAC、引きこもり、アルコール依存症他アディクションからのサバイバーです。


『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 今回はちょっと空想科学心をくすぐります。

 想像力をはばたかせます。

 たまにはこんな事を想ってみます。


 

 男の子ならみんな恐竜が大好き

  (ということにしておきます)。

 ジュラシックなんたらでも活躍していました。
 



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ティラノサウルス。(最強の捕食獣でみなさんを追い回し、敵役を美味しそうに丸呑みしていましたね)
 


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トリケラトプス。(サイみたいなやつで三本も角があって草食、口はくちばしなんだね)


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ほいで首の長いブロントサウルスとかディプロドクス。


恐竜というのは厳密には上記のような方々達で、海洋に居た首長竜(ネッシーくんを思い浮かべてくらはい)は巨大水棲爬虫類といい、



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プテラノドン君等、空を往く翼竜はまた翼手竜という生き物で恐竜とは違うんだそうです。

 


 今の時代で言うとライオンやら象やらサイやらキリン、狼やら熊やら牛、馬、などが当時の恐竜で、鳥や海亀は違うものというような関係。

 恐竜像については日進月歩で、研究が進むにつれ僕らが昔持って居たどでかいトカゲというイメージは払拭されました。


 

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 羽毛に覆われ見た目もカラフル。

 敏捷に動き回り、温血だった可能性もあるようです。
 


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 (上の絵はティラノサウルスの頭部の想像図。

 上は昔ながらの物、下は羽毛に覆われたイメージ。

 こうなると、体の色だって茶褐色とは思えませんね。

 恐らく、神々しいほど荘厳な姿をしていたのではないでしょうか。

 鳥達の美しい羽の色彩を思い浮かべてください。

 ティラノサウルスは史上最強の捕食獣だっただけではなく、

 最も美しい生き物だった可能性もあります。)


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 身体を立てて尾しっぽを引きずっていたイメージから、身体は水平、しっぽでバランスをとりながら大またで走りまわる。

 それらが最新の恐竜像なのです。

 そんな恐竜君たちと同時代、海棲に過剰に適応してくれたのが魚竜イクチオサウルス君。

 サウルスと呼ばれるけど恐竜君の仲間ではなく、見た目に華が無い。
トホホ。

 


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 見てわかるとおり、彼は「あの時代のイルカ君」なのです。

 哺乳類のイルカ君たちは上下に身体をくねらせますが、彼らは横に身体をくねらせる。
 さかな君と同じ。 推進効率は上下の動きの方が良いのですと。

 がっじがじアンモナイト先生方を食べていたようです。

 さて・・・イクチオサウルス君、進化論的に言うと「イルカの先行型」というらしい。
 なんとなく意味はお分かりと思います。

 プロトタイプ(試作品)という考え方があるらしいのです。

 思いあがりもいいとこだとか私めは思うのですが、まあま、そういうことにしときましょう。

 すると、ティラノサウルス先輩はライオンかトラの先行型、ディプロドクス選手やブロントサウルス先生はキリン、象などの先行型、トリケラトプちゃんは言うまでも無くサイ。

 はたまたプテラノ君は大洋を滑空する大アホウドリの先行型。

 
 こういう図式が出来るのでございます。

 「先行型」の謂いは良しとして・・・「プロトタイプ」の謂いはどうじゃ?
 

 やはりむかっ腹がたつ。

  人間原理。哺乳類原理の思いあがりもいい加減にせい。

 どう見たって「あの時代の彼らの方が荘厳たるものジャン」。

 スケールが違いますから。
 あの時代の地球の重力は今より小さかったという考えがあります。
 あと、大気中の酸素濃度も今より濃かったと。
 んじゃなきゃ、あんな偉大な先輩方が動き回れたはずが無いというのです。

 んで、そうこう考えてると必ず出てくるのが「んじゃあ、人類の先行型もあったかも」。
 こういうことを大真面目に考える方はたくさん居て、爬虫人類なるものを30年近くも前に考えた学者さんも居る。(後述)
 (アニメのゲッターロボが戦う恐竜帝国はまさに恐竜人でしたね(笑)
 

 マイケル・クライトンの原作では、ジュラシックパーク2でヴェロキラプトル先輩達は非常に洗練された音による意思疎通を図り、社会を持っている存在として描かれとりました。
 とは言っても、人類の先行型というには程遠い群れ社会の描写にとどまっておりましたが。


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(写真はトロオドンと恐竜人類ディノサウロイドのイメージ。

 原猿類と人類みたいな関係です。)


 日本のSF作家豊田有恒さんは、

 もしもあのまま恐竜が絶滅しないで進化していたらという恐竜人「ディノ・サウロイド」なる存在をカナダの古生物学者デール・ラッセルが1982に発表する随分以前

 1977には「ドロマエオサウルス」を、社会を営み葬送する存在として小説に書いてらっしゃいました。
 

 もしもですな、まっことそういう方々が居られたとしたらどんな社会を造っていたでしょう。

 宗教はあったか?
 死についてどんなことを思っていたか?
 自殺したか?
 親子の関係は?
 どうやって恋をする?

 資本主義か社会主義か?

 生き甲斐を何に見出す?

 幸せとは?
 ↑
 わたくしめの興味、すなわち現在抱える問題が顕れとります(笑)。

 あたくしの夢の一つに「イルカ君たちと泳いでさわりたい」というのがございます。

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 すっ・べすべのイルカ君たちにふれたら、ちょ~~癒やされるっち。
 抜群のヒーリングなんだね。


 あの時代の「人類に匹敵する先輩達が居て、心病んだら、イクチオサウルス君とのふれあいで癒やされたかな?」
 そういうことを考えるわけです。

黄金の網目が映える中生代の穏やかな浅瀬でイクチオ先生とたわむれる我われの先達・・・。
 友情も芽生えたことでしょう。

 哀愁のイクチオサウルス先生・・・。
 会った事ないけど好きだぜ。

 

 ということで、われわれ人類も次ぎに来る方々の「先行型」?・・・いやいや。 
 自分らで自分の首を絞め、地球にやさしくない存在・・・。


 過去から未来までの全ての宇宙、自然、生物無生物、概念、五感で捉ええぬもの、そして全ての他者との

「大いなる繋がり」を生まれながらには感じ取れない存在。


 考えたらまさしく、人類こそ「試作品」の謂いがあてはまると言われそうじゃないですか。

 情報に対する「演算処理能力を」増やすために特殊化した脳によって「リアルからスポイルされている存在」と言えるかも知れません。

 んじゃ、我々をしてプロトタイプと言わせしめる存在って?

 あはは。

 楽しい妄想が膨らみました。


 次回もMindExpander梅がエスコートいたします。



       MindExpander 梅


       




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 さてみなさんもご存知


 フランクルという心理学者が居る。 居た。

 彼は第二次大戦中、悪名高い「アウシュビッツ」

 ナチス・ドイツがユダヤ民族を虐殺するためにこしらえた収容所に入れられてしまう。
 

 毎日ガス室に送られて死んでいく同胞。
 必要最低限以下の食事・・・薄いスープ一杯。
 ジャガイモのかけらが浮かんでいたら幸運だったという、それが日に一杯。

 骨と皮になった人間。
 糞尿にまみれた靴を枕にして眠る。

 しかし。 かれはその地獄でこう書き記した。

     「私は見た。 聖者の如くなった人を。」

 彼が見たのは、今日死んでもおかしくない、骨と皮になって、
何の望みも無いような環境に居ながら、自分の食べ物を分け与え、慰めの言葉を仲間にかけていく人々だった。

 僕はこの話を初めて聴いた時

 「そんな聖人みたいな真似は自分には出来ないなあ・・・」と感じた。

 「素晴らしい事」と感じたのだ。
 自分をかえりみずに、仲間を思う・・・。


『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 しかし!
 そうではない。 

 「まねの出来ない素晴らしい事でそういう方々には頭が下がる」

 というような事ではなかったのです!

 フランクルさんが見たのは

 《自分の事だけに拘泥しないで、共に居る者に命を注ぐことで、
 その人たちは《生きた》という事実でした。》

 それが素晴らしいことだから、と、そうしたのではなく

 自分が生きるには、それが必要だからそうしていたのだと。

 自分の事だけを考え、拘泥していた人間は、

 極限状況の中でたやすく絶望し、見る見る命を失くして行ったのだと

 フランクルさんは言っていたのです。

 同じアウシュビッツに収容されていた
ノーベル賞受賞作家、エリ・ウィーゼル

 同じくアウシュビッツ経験者の心理学者、ルーシー・アデルスバーグも同じ経験を語っています。

 またフランクルはこんなエピソードも記しています。
 

 死んだように疲れ果て、明日に何の望みももてない状況下、飛び込んできた仲間から外に出てくるように誘われ、ついて行くと

みんな極度の疲労と寒さにもかかわらず、日没の光景を見逃すまいとしていたのだと。

 「我々は外で、西方に暗く燃え上がる雲を眺めた。幻想的な形をした雲が青銅色から真紅に至る、この世のものとは思えぬ色彩で様々に変化していくさまに見入った・・・。」
 

 いくばくかの沈黙・・・誰かが口にする。
 「世界はどうしてこんなにも美しいんだろう。」

 余裕があって鑑賞しているのではない。

 それが自らの内に命を呼び覚ますからそうしたのです。


 

 この世にあっては、
何もかも「恵みとして与えられている事」に

 感動を持って思いを馳せ、

 感謝と共に「自分と世界を受け容れ」
 傍らの誰かに惜しみなく自分を与えていく時、
 

 命、「生きる活力」が自分に流れ込むように出来ています。
 この人生から。 

 すべてが繋がっている「生かし合いの繋がり」から。


  P.S
 ただし、自分自身を受け容れていない者が

 「相手の世話焼きをする事で自分の活力を得ようとするのは、共依存という。」

 それは「自分の内から次々に溢れていく愛ではなく。」

 
「《枯渇している自分》と意識していて、無自覚に相手から命を吸い取ろうとする事に堕してしまいます。」

 共依存とは「命のすすりあいです」
 相手の人生を自分が奪い取っているのです。



『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 アウシュビッツのような極限状況ではありませんが

 僕も気が付いたら 「依存症という荒野に居ました・・・」

 仲間は死んでいく・・・もとの状態より悪くなり、言葉も通じない。

 そこで僕も見ました。

 自分の事ではなく、仲間のために耐えることで「生きる人たちを」

 アルコール依存症により入院した病院で、退院したなら自助グループに繋がりなさい、と言われました。

 「まずは、俺が俺が、ではなく、お任せする心で。
 次に、自分が出来ることでグループの仕事をさせていただきなさい。」

 その時には分からなかったのですが、まさしく、

 「怖れ」から「信頼」への転換。

 

「自力我力でここにあるという傲慢から、仲間のうちで生かされていることを知る。」

 「自分のため、我利我利な生き方ではなく、貢献する事で、存在意義を感じましょう。」
 という事でした




 さて・・・翻って、全ての人の人生・・・。

 極限状況じゃないと「言えるでしょうか??」

 実は「生きていくことは、いつだって極限状況なのです。」
 人生から我々は常に問われ続けています。
 YESかNOか。

 互いに赦し合い生かしあって行く生か

 受け容れず、白黒つけなきゃ収まらない殺し合いか。

 この人生に応えようと思います。 

 与えれば、与えるほど、自分は潤う。
 それが「愛」「命」の法則なのです。


 そして、私達は
この人生」から

 

 無償、無条件、無制限の愛で、此処におかれている。
 

 招かれて、好きにしていいよと赦し続けられています。

  愛され続けているのです。  この人生から。

 無条件の愛で私たちは

 今ここに生かされ続けてきたのです。

 気がつかなかっただけで。


 この愛に応えて行く時

 生きる力、決して枯れることのない命の泉が自分の内に溢れ出していくのです。



  次回も MindExpander 梅 がエスコートさせていただきます。




          MindExpander 梅

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二回に分け「得ようとする生は失くし」 「与えていく生は溢れ出す」というお話を綴ります。


「情けは人の為ならず」という言葉がありますよね?


「情け」という言葉に捉われず、「誰かの為に何か善意や好意から(時間でも労力でも金品でもチャンスでも・・・)与える」というほどに考えてください。


本来的な意味は「人の為ではなく、そうすることはいずれあなたの為になるんですよ。」

という意味ですね。

しかしながらこれが、「あてこんで」というような意識からそういう言葉が出るようだと嫌らしい事この上ありません。


この何年かで出て来た、この言葉への若者の新解釈は「情けなんかかけたら、そりゃ相手のためにならない」(!)

これは考えようによっちゃ素晴らしい解釈です。

このブログの「瞳に映すピエタ」という文中にも同じ内容を書きました。


さてここに、「第三の解釈」があります。


「実は情けをかけられる側ではなく、与える側がその行為によって命を得ている」


この「逆説」を今回は二回に分けて過去の僕の日記からお話します。


 



『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 10代の早くから「行き詰まり」を感じていた僕。

 17の時には「自分が変れば状況は変る」と既に考えていた。
 しかし、何をどうすればいいのか判らない。

 そして受験に追い込まれ、ひたすら逃げを打つ事のみ考えていた。

 もったいない話だ・・・。
 いろんなことが出来たろうに・・・。
 色んな出会いもあったろうに・・・。

 「すべて自分がしたことだろ!?」
 他人からこれを言われたらどうしようもない・・・。

 だが、それだけじゃないんだ!!

 怖かったから良い子にするしかなかった・・・。

 そう思い込んでいた。

 この憤りがすべてに対する憎悪にもなった。
 悔しさ。
 親への憤り。
 
 話しても通じないもどかしさ。
 しかし、今が在る・・・此処まで来て。

 


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 私達の人生は「愛して物語」からスタートする。

 そして「愛されて」
 「愛する物語」に踏み出していきます。

 しかし自分は存分に愛されたと受け止められないままでいると、
いつまでも「愛して物語」を生きようとしてしまいます。

 


  恋をし「この人のために何でもしたい。 この人に自分をあげたい。」
 

 子供に恵まれ「この子のためならどんな事も耐えていく。自分の命だってあげられる。」

 そう感じている時、「その人の内には愛が溢れて枯れることはない。」
 「次から次に溢れて来る。」

 《惜しみなく与えることで溢れるほどに満たされて行く》

 与えれば与えるほど次々に満たされ溢れ出す。


 「下さい」という物語を生きている内は、
「自分は貰わなきゃ枯渇する」と「思い込んでいる」

 すなわち、依存物語
 依存すればするほど、貰えば貰うほど
 「その人のうちに命の泉が湧いている事を忘れさせてしまう。
 そして際限の無い、下さい物語、貪り物語に堕ち込んでしまう。」



 自分を忘れて与える時、その人は「満たされている」
「汲めども尽きぬ愛が溢れる」
「自分の内に命の泉があふれている事に気がつく」

 愛=命。
 
 人を生かす活力とは、「愛」のことなのです。






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 1968年ミズーリ州の或る農家の納屋で四駆のトラックの下にもぐり込んでいた青年の母親が、納屋に飲み物を持って行くと、息子が下に潜り込んだトラックを支えているジャッキが今にも外れそうなのを見た。

 40代後半の彼女は5メートルを走り、ジャッキが外れて落ちかけた600キロを支えた。

 80年代には、日本でもテレビで大きく取り扱われた奇跡があった。
 
 60代の男性が帰宅途中、ふと眼を上げると、すぐ傍のマンション3階のベランダに、ハイハイをしている幼児が鉄柵の隙間から落ちかけているのを見て、7メートルをダッシュ。
 落ちて来る子供をキャッチした。

 後に検証した結果、3階ベランダから落ちる子供を受け止めるために7メートルをダッシュして落下地点までにたどり着くには、わずか1.4秒しか時間が無いという事実。
 助走無しの1.4秒で7メートルを走ったことになる。

 ハイハイしている幼児が3階から男性の身長まで落下した時の加重は150キロを超えるという事実。
 
 これを60代の男性が、革靴、背広姿、落下地点への途中には垣根があって迂回しながらやってのけたというのです。

 「火事場の馬鹿力」という言葉がある。

 おばあさんが大きなたんすを火事のときに背負って逃げた、というような話。

 これらの話は「筋力」に関して、人間が極限状態で発揮する思いもかけぬ力、と言えます。

 しかし、「ポイントは、自分をかえりみずに大切なものを守るため」
 というところです。

 これらの話を「日常で私達が生きていく力の話とつなげてよいものか・・・」
 
 僕は、10代から「この力があれば自分を生きられるのでは」と考えていました。
 ただし・・・その頃の僕は「自分をかえりみずに大切なものを守ろうとする時に、そんな力も私達のうちに湧いてくる。」
 とは気が付けなかった。

 せいぜい、人間には使われていない潜在能力があり、それは途方もない力だ・・・
 くらいに捉えた上で、それを使えないかと考えていた。



  次回に続きます MindExpander 梅







MindExpander 梅




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 さて今日は僕のこんな体験をお話しましょう。

  (このお話は事実ですが、登場する人物には公開の了承済みであります。)

『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 僕は子供の頃「お呼ばれした家で出されたものを食べなかった。」

 いけないことと思っていた。
 遠慮する事が良いことと思っていた。

 もう40代に入ってからだが、「教会に通いだした」。

 そこで週一回ある「祈祷会」に出ることが楽しかった。

 集った参加者それぞれが自分の事ではなく、他人の事を祈る。
 「○○さんが体調を崩しています。 癒やしの御手を差し伸べてくださいますように。」
 といった具合だ。

 世界平和、国内で話題になった事件や事故の被害者のため、飢饉に苦しむ国の子どもたち、冤罪に泣く人らのため・・・


 遠く想いを馳せて
 誰かのために心を注いで祈ると、自分の事を祈るよりも「恵まれる」

 ちっぽけな苦しみじゃないか・・・こんなの大丈夫だ。 
 と、自分の苦しみなんか吹っ飛んで、勇気が湧いてくる。


 さて、その祈祷会でいつも顔を合わす僕より6つ年下の堅物君・・・苦手だったなあ・・・。

 TPOわきまえての《自覚的》な「几帳面」ではなく、「無自覚かつ強迫的几帳面」
 「あなたはこの場合こうするべきです!」 
なんて、

 仕事でもないのにいきなり言われた事もある。

 ところが、この方・・・鬱だとか・・・。

 と言うか・・・会社にほとんど行けてない状態で、何度か自殺をはかりました。
 休職、休職の繰り返しで、ある時には職場で「死ね、死ね、という声が聴こえる」と言い出し、上司に連れられて入院した事もある。


 お分かりと思いますが、他人に対して無自覚

「~~であるべき」と押し付けていくこの方は、「同じ事を常に自分にしていて」


 他人を量る自分の内なる「秤」で

 自分自身をも量り、駄目出しし続けていました。

 「人にうるさく言う分、自分を許せないのです。」

 子供の頃から秀才で大学院に進み、「人よりいつも自分は上でなきゃならない」と思い込んでいたようで・・・

 女性が自分の知らない事を知っていると、それだけで「胸がドキドキする」と話していたことがありました。
 僕が「依存症になった経緯から、ナイトキャップなど言うけど、アルコール自体には入眠効果も睡眠を促す効果もなく、むしろ眠りを浅くする。」と話したら、
 眼を見開いてこちらを見、「梅さんも色んな経験をして、知ってる事も在るね!」
 と、今度は眼を伏せて、何事もなかったかのように(わざとらしいのですが)雑誌に見入る・・・。

 いやあ・・・これじゃあ、生き辛いでしょう。

 なによりも、友達が居ない方でした。

 その方が祈祷会で出されるお菓子をバクバク食べるんです。

 そこの牧師さんにべったり依存してまして、はじめて、心許せて、落ち着けるところ、になっていたのでしょう。

 ところが僕は冒頭に書いたように「遠慮してるのが良いこと」と思って生きてきました。

 ただでさえ、人のことを頭から見下し、重箱の隅をつつくような事を取り上げされ、しかも「その人間の基準で切って捨てられるようなやり方・・・」

 そいつが!! (笑)

 目の前で、毎回毎回、遠慮なしにバクバクバクバク出されたものを喰う!!!


 許せねえ!!!!
 思うわけであります(笑)


 ところが、お菓子や自家製のケーキを用意してくださった御婦人がこう言ったのです。

 「こんなに美味しそうに全部食べてくれると持って来た甲斐があるなあ。 すっごい嬉しい!!」

 僕は呆然としていました。

 その御婦人の言葉、偽りなし。 と思えました。
 その嬉しそうな表情から。

 「じゃあ、俺はなんだ・・・」

 御呼ばれしたら、用意してくれたものをありがたくいただいたほうが招いてくれた方は嬉しいのか・・・。

 「びっくりしたなあ、モ~!!」

 「千葉の女が乳搾り!」です。


 以来、僕は御呼ばれしたり、みんなでわいわいやる時に「遠慮しないで楽しめるようになれました。」

 堅物君のことも、バクバク食うのは気にならなくなりました。

 それ以外のことは相変わらず苦手でしたがね(笑)


『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 「自己受容の度合いと他者受容の度合いとは、正比例する」というお話しでした。

 

 生きていく上での大前提として

 あるがままの自分を受け容れられれば受け容れられるだけ、

 あるがままの他者をも受け容れられる。

 許せれば許せるほど、自分も楽に生きている、という話です。


 この「許す」は条件、規格、です。

 「他者を許せば、その分自分をも許している」
 「自分を許せている分、他者を許せる」

 
 僕は「お呼ばれして御馳走になる事を自分に許しました。」
 それで堅物の食うさまも気にならなくなったわけです。

 
 ということはね。

 自分と和解したんですよ。

 「そんな自分も、あり、なんだよ。」って。


 つまり「自分を赦したんです」  

       それでもOKなんだよ、って。

 自分自身をOKする、

 自身との新しい関係を選んだんです。

 
すると「今まで生きられなかった自分を生き始める事」が叶い。
 
 許せなかった相手
すなわち
 

 「自分が生きられないところを生きている他者。 

 自分の抑え込んだところをしている他者」を

OK出来ました。


 極論すると「私達が赦すのは自分自身だけでもいいんです。」

 すると自ずと他者をもOK出来ていくんです。

 ということは

 「自分を許せば他者をも許し」
 「自分を許せなきゃ他者をも許せない」

 「相手を赦せなきゃ、自分をも赦せない」
ということです。

 わたしたちは

 「事実、こうして自他の区別のない世界に、実は生かされているのです。」


 他者を受け容れれば受け容れるほど、

自分も輝き、本来の自分を大きく生かされます。

 そこから想いを馳せるなら、

 
「感謝すれば感謝するほど、自分の内に命が溢れます。」

 
 「すべてとの繋がりを感じられれば感じられるほど

  あなたは他者と自分に優しい眼差しを向けることが出来ます」

   

     思い描いてみてください・・・

 

 もし、自分と全ての人と、

    この宇宙の過去から未来までの

  永遠に失われない繋がりを感じられたら・・・


 そこに生かされているということに目覚めたなら・・・


 タバコの吸殻やコーラの空き缶を道端にポイ捨てしますか?

 

 イタリアだか何処かの古い建築物の壁に名前を 入れた相合傘の落書きをしますか?


 孤独でどうしようもないと、うなだれていますか?


 生きる力が湧いては来ませんか?


 何か誰かに自分を与えたい、貢献したいと

 そういう思いに満たされていきませんか?


 自分も知らぬ間に

 人を傷つけていたかも知れないと思えて

 いつまでも誰かへの恨みを握り締めていることが  馬鹿馬鹿しいと思うのではないですか?


 誰かのものを奪おうと思えるでしょうか?

 人を傷つけようと思えるでしょうか?


 どのような存在にも優しい眼差しを向けられると思いませんか?



 大前提は「自己受容」です。

  自分の存在そのものに対する

       減点法の「引き算人生」ではなく

 

 あなたのあるがままから始めて行く

   「足し算人生」で生かされることです。


 


     心を大きく広げて行きましょう。


     少しつつ段階を踏んで。

 

「赦す事」と

「全てが繋がりを持っていることに目を向けていくこと」に


 また次回 もう少し深いところまで思いを馳せて行きますね。



  次回もMindExpander 「梅」が エスコートさせていただきます





               MindExpander 梅






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 生き辛さを抱え、自分を受け容れられず対人関係で悩み、苦しみに在る方・・・。

 思い通りに生きられず鬱々としているあなた。


 たまには ギュウッと縮こまっている心をストレッチしてみましょう。

 今日はこんな風に想いを馳せてみましょうか。

 
 《あなたはあなた、わたしはわたし。
 
 違っているのが当然。 

 違っているからいいんだ。
 
 あなたはわたしのために生まれて来たわけではないし
 わたしもあなたのためだけに生きてるわけでもない。

 でもさ。
 あなたのことはあなたが

 わたしのことはわたしが、だけど・・・。
 
 もしも助け合える事があるなら喜んで手を貸せて
 わたしも遠慮なく力を借りられたらいいんだろうな。

 互いに別個の人間だけど

 全体の中でなくちゃならない大切な部分。
 

 皆が眼でもないし、皆が耳でもない

 それぞれに居てくれなきゃならない存在。

 全ての方が見えない繋がりを持っている。

 会った事ない人とも、遠い過去に生きた方とも

 これから生まれてくる未来の誰かとも

 その知り合いの知り合い、と辿れば必ず誰かに繋がっている・・・


 これから生まれてくる子供のために頑張っている方が働く会社の製品を

 あなたは愛する人にプレゼントしてお互いの繋がりを確かめ合い

 亡くなった大切な方に報告して

 優しい想いを分かち合うかもしれない・・・。


 わたしたちは

過去からの連綿とした繋がりの中に生かされているだけではないのです。

 実は


 《未来から支えられて今を生かされてもいるのです。》

 

 過去から未来から見も知らぬ全ての方とわたしたちは繋がっています。

 
そんなわたしたちは
  空気が在るから生きられる、感謝。
 
 水が在るから生きられる、感謝。
 
 食べ物になってくれる生き物がいるから生きられる、感謝。
 森にも河にも、山にも海にも感謝。
 
 この星があったからわたしはここにいます。

 この星は自転しながら太陽の周りを廻っています。
 
太陽の家族はさらに大きな銀河の回転の中にいます。
 その銀河ももっと大きな集りの中で回転しています。

 巨大な光の渦はさらにたくさん集まって広がって行きます。

 普段は意識できないけれど

 想いを馳せたら、実は我々は光と変わらぬ速さで移動しています。


『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」


未来と過去も一つではなく。

森羅万象すべての繋がりの中にいます。

 

 何も「物がなければ」変化するという事も無く

時間も無いでしょう。
 

物は物としてのみ在るのではなく

「関係」の中で成り立たっています。
 「関係」が在るから「物」は在り、変化が在り、

時間もあります。

 「わたし」、「今」

とは関係と共に未来に向けて変化していく事。


 《過去からの時の流れで今が在るのではなく。

未来からの要請で今が在ります。
 我われが今

何を選択するかだけなのです。
  それは過ぎ去ると過去になります。》
 
 未来からの時の流れの中で

何を選択するかは、

当然「過去とは何も関係ありません」
 過去に何を為したかとの

因果関係はないと捉えられます。

 例えば、未来からの時の流れの中でチャンスを拾い損ねた事は過ぎ去って過去になります。
 「ああ・・・。あの時ああしてれば良かった。」

「もう、あんなチャンスは来ないかもしれない・・・」


そう想うかもしれません・・・。


 

 ところが、次ぎに来るチャンスは

過去と因果関係には在りません。
あなたは 

 過ぎ去った過去を参考にして

次は拾えばいいのです。

 (もちろん、次ぎのチャンスを拾えるだけの地力を養い、意識しておくということは必要ですが。)

 
ということは

過去こうだったから・・・

という事とは関係なく、我われは
 自分が思い立つならば


「その場で生き方を変えられます。」

「宇宙は瞬間瞬間に

新たに生み出される離散的存在」
 仏教のアビダルマ哲学に基づくとこうなります。

 「生きることの意味」を考える上で、
 
 この、
未来から

過去へ向かっていく時の流れを

一刹那一刹那
  わたしたちが

《「こういう未来にする」という目的》

を持って
 「未来に在るその姿に向け

遡行して行く」

 という「動き(人生、生きていく事)」

を無視して 海の水を掬い分析して

海が何かを推し量るような考え方

をしても答えは出ません。

 こうして考えると、こういう答えが出ます。
 

 《生きる意味は「その人が未来に向けて決める。」》


                            

『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 そして、過去にどんな過ちや失敗があっても、どんなに自分を惨めに感じるような生き方をしてきたと感じていても

 今から決めて未来に向ける事とは因果関係はないのです。
 
 
今何を選択するかで

わたしたちの未来は決定します。
 

 

《時間は未来から

「何を選択してくれますか?」

と流れて来ます。》

 キリスト教徒はこう言います。
「神に応えて行く生」。

 わたしたちはこう言えます。
「未来に応えて行く生」

 


人生に「生きる意味」を問いかけても

何も答えてはくれません。
 

 こちらが応える側なのです。
 我われが「決める」のです。

 「人生から
わたしたちは問われ続けています。」


 未来からのこの問いかけに

 わたしたちは時の流れの中


 「こういう未来にするという

  目標を持って進んでいく事」

 で応える事を求められているのです。



ということはね
 だから」 どんな過去も赦されていて、いつからでも、何も制限無く、
「私たちは思い切って大きな夢を描いてそこに進んでよいのです。」

 というより、未来は、今の我われに大きな夢を持って進んできて欲しいと要請していると考えられるのです。

 人生に応えるというのは
 

 自分を瞬間瞬間赦し、

 未来に向けて夢と目標を持ち、その未来に向けて「今」を選択し続けていくことのようです。


 自分と全体にとって最も良い形。

 未来に向けて建設的な方法を選択して進んで行く事。



 我われに応えてくれと問い続けてくる人生の向こう側には
 未来在る「自分と全ての繋がり」が

 私たちに「絶対の信頼」を寄せて

 待ち続けてくれています。


未来はわたしたちに、

夢は制限なしで見てくれと言っています。 

 そして「存分に生きてくれ」と見守ってくれています。

 

 どんなに惨めで、どんなに誰かを苦しめた過去があっても!




こんな風に毎日、

わたしは自分がここに生かされていることを大きく瞑想します。


過去から未来までの

全ての人とあらゆる物事は

分かち難く繋がっており

私たちは生かし合いの関係の内に入れられている事を感じていく時


自ずと癒され

自分と全ての方と

この宇宙に優しい眼差しを向け始めます。


その時、私たちは

決して失われない

「生きる活力」「勇気」「命の泉」を

わたしたちの内に

永遠の繋がりと共に見出します。


『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 生き辛さを抱える方にはアファメーション(特に自己肯定に関して)の本などを使い、少しつつ毎日の「心のストレッチ」をお奨めします。

 また「身体」からほぐしてくれる

アロマやヒーリングミュージックなども

その際に合わせる事をお奨めします。

 どうぞ工夫してご自分なりの

「心のストレッチ」をしてみてください。




 自分の感じている事を

批判なしに感じる事と、

このようにイマジネーションを大きく働かせ

 心のストレッチをしていきましょう。

  今は夢を持てなくても


 心のストレッチをし

縮こまっていた心の筋肉が

のびのびと動かせるようになって行くと、
 小さな目標から始まり

今は見えないし摑めないところに置かれていると感じられる

「大きな夢、本当の目標を持つ事」も叶います。

 夢を持ち、目標が決まると、

人は全人格的に嫌でもその方向に向かい出します。



 少しつつ段階を踏んで行きましょう。




  




次回もMindExpander 梅がエスコートいたします。





    
         MindExpander 梅

 
             




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この人生に感謝します。