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『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」

心が「こって」はいませんか?「 MindExpander~心のストレッチャー梅」 あなたを心の水平線に御案内します。あなたの心を解きほぐし広げます。空を行く雲のように悠々と往きたいものですね。梅はAC、引きこもり、アルコール依存症他アディクションからのサバイバーです。

 



『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 何十万人かに一人、痛みを感じられない人が居るという。

 痛いのは嫌だから、そりゃいいや・・・って。

 15年以上前に無痛症の子供を特集したテレビ番組を観た。
 確かアメリカの男の子だった。 金髪の可愛い子だ。
 
 夏休みのヨットで、父親が肉の焼けるにおいを嗅いで振り向くと、彼は楽しそうに真鍮の手すりの上を裸足でバランスをとりながら歩いていた。

 もっと小さな頃には熱したストーブにもたれて絵本を読んでいたという。

 痛いのは嫌だけど、生存に必要な基本的防御システムだ。
 痛いから、それを予想して生命の危機を回避できる。

 同じように、怒りや憤り、不安、悲しみなどの「通常ご免こうむりたい系の感情」も
 人が生存するのに必要なものだ

 不安が無ければ、軽装で冬山に登山するだろう。
 恐怖が無ければ、高速で車が行きかう二車線を注意もせずに徒歩で横切ることだろう。

 アドラー心理学では「感情には相手と目的があり、使用している。」と考える。

 たとえば、「怒り」を使用して、自分の主張を押し通す。


 怒れば、アドレナリンが分泌される。
 その力で「断固引かずにやりぬく」という効果を見る。
 涙を流す時、同じように脳内にホルモンが分泌されるでしょう。
 それで自分を癒やす。

 そういう、システムでもある。

 それは生まれながらの人に備え付けられている生存のための「基本的なシステム」でもあると僕は考える。

 そのシステムについて判っていない・・・無自覚であり
 自分がそのシステムを自覚的に「使用」しているのではなく
「働いているシステムに振り回されている」のが生まれながらの人

 ということなのです。


 以前アルバイトの同僚で、とにかく自分が楽しようとする人がいた。
 僕は近くに行かないようにしていた。
 しかし、並んで作業しなきゃならない時もある。
 話しかけてくる。

 僕とほぼ同じ年~50だったか。

 彼:「相手の考えてる事をどうしたら聴きだせるかなあ?」
 僕:「はあ?」

 彼:「いや、娘がよ、男出来たらしいんだよ。」
 僕:「へえ」

 ・・・「前によ、世話してやったのに断りやがって、いつの間にか知らないのとくっついてるんだよな。」
 「え!? それどういうこと?」

 「いやよお。 二十歳にもなって男っ気ねえのかなと思ったからよ、知り合いの若いのを紹介したんだよ。」
 「え!」

 「だってよお。 何処の馬の骨ともわからねえよおなのに持ってかれるんだったら、知ってるのに《やる》方がいいだろうよ?」
 「・・・!!(何処の馬の骨かわからん・・・)」

 「そしたらよ、知らねえ内に付き合ってる奴が居るらしいんだよ。
 こないだ、酔っ払った勢いで誰だか聴き出そうとしたら教えねえんだよ。
 親だもんよお・・・気になるでしょうよ!!」
 「・・・(絶句)」

 「俺にとっちゃあよ・・・子供が宝なんだよな。
 梅ちゃんなんか分かんねえだろ。」



 という具合・・・。

 どう思われたろうか・・・。

 完全に「子供を自分の所有物」にしていると思いませんか?

 こういうのを「愛という名の支配」という言い方をする方が居る。

 ・・・

 実は僕もそう思っていた。
 10年以前の僕なら「最低だな、あんた!!」と言ったかも知れない・・・。

 では今は?

 


 確かに、子供を所有物のように勘違いしている。
 こういう「ここではとりあえず(くれぐれも愛ではなく) 《情》 と言っておくが」 

 そういう「情」自体を以前は僕自身が疎ましがった。

 数年前まで十代から、おふくろは毎朝出がけに一言いう

 「子供ら歩いてるから気ぃ付けえよお。 車ではねるなよお。」
「雨降ってるから前見にくいど、人はねんなよ。」

 毎朝毎朝・・・「やめてくれる?」と言い続けても声をかけてくる・・・
 独り言のように。

 自分の不安なのだ。
 それを「俺におっかぶせて来るな!」

 永い間の子供の頃からの憤り、抗議でした

 「あんたと俺とを一緒くたにして感じ、先回りして手を出してこないで!!」と・・・


 僕は僕のことを自分がやりたかった。


 母親の方で「見ていられずに手を出してこられちゃあ」


 自分に立つ力があることを見出せず、学べず、不安ばかりが伝染してしまう。

 それを「僕は苦痛として感じていた」


 ただし、言葉にして訴えられるようになったのはもうずっと後のこと・・・

 30代に入ろうかというようになってからだった・・・。





 さて、そういう「子供にとっちゃあ迷惑な」「親の情」って・・・

 完全に否定されるものだろうか?

 或いは「愛し方が下手」と言うのとも、またちょっとニュアンスが違うと僕は考える。


 

 次ぎの世代に命を繋げて行く・・・基本的なシステムが上記に言う
「情」なのだと考える。

 それがあるから、子どものために頑張り、責任をもって関わっていけるのだ。

 だから「いきなり、愛という名の支配」みたいに言ってしまう話しではない。

 このことを吟味していくなら、いわゆる分離不安ということだって、今までとは又違う認識で捉えられる。


 基本的なシステムである「情」を「使用していることに無自覚」であるがゆえ、こういった
、「子供の所有物化」「自分の不安を投影」
という形で

 「システム暴走状態」なのです。

 同僚の「俺にとっちゃあ子供が宝」も「本人には確かにそういう気持ちだったのでしょう。」

 娘にとっちゃあ「最悪、ゲロゲロ」な話でしょうが。


 この「情」が「(真の)愛」と何処で違ってるのだろう・・・。

 それを分けるとしたら情を無自覚に使用して相手に関わる者の「自己受容の度合い」ということかもしれない。

 では、自己受容って・・・


 生まれながらに独りっきり「周りに誰もいない、ただ食べ物と水があるような環境」で育ったら、自己受容って在るのだろうか?

・・・

『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」




  次回に続きます。


 MindExpander梅は あなたの命を輝かせるお手伝いをします。


 あなたがご自分を赦し、新しい「今を」生きるお手伝いをしていきます。


 アダルトチャイルド、アディクションの問題に苦しむあなたと

 その親御さんの自己実現を応援します。


 起きた事は、すべて現在にとって最善の事にされています。

 自分を赦しこの人生に信頼し感謝して、大切な人を信頼して行きましょう。

 これらの事も必ず、腑に落ちるようにこのブログに綴っていきます。


           MindExpander 梅



 






『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」


 あなたが抗菌靴下3足組800円を二組買おうとしてジャスコに行きます。
 2Fの紳士衣料のコーナーをまわります。
 ほどなく目当ての靴下を見つけて購入。
 そのあと生鮮食品のフロアに下りて家に帰ってきます。

 靴下の他に紳士衣料のコーナーに何があったか尋ねられても言えません。
 靴下を捜すにあたってそれ以外の肌着や衣料のコーナーを随分見て廻ったはずなのです。
 「眼で見てはいるのです。」 でも覚えていません。

 意識のスポットライトが当たっていなかったからです。

 3足800円の抗菌靴下だけに意識が行っていたからです。

 自分にとって重要でない事は見えないということらしいのです。



『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



《もしも、その人が夢を目標のレベルに落とし込むくらいまで、
 明確なビジョンにして、何が必要で、何をすればいいか誰の力を借りられれば叶うか。》認識したなら

 それまで漫然と生きていた時には「眼に入らなかったもの」が
「自分に必要で重要なものとして、見えるようになる。」ということはあって当然じゃないでしょうか。

 引き寄せるというより、夢の実現を具体的な目標レベルに持って来られれば
 「見落としていた事を認識し、出会いの中にも必要なものを探し出し、
 自分に必要な出会いや必要な事柄、必要な情報をキャッチする機会は増えて行き、目標実現への速度も徐々に加速して行くでしょう。」
(マインドマップの造り方と活用法を学んで取り入れることをお薦めします。)

 
『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」




 《どうせ俺は駄目なのさ。
  あたしにはここがお似合いなのよ。》

 という「居心地の良い偽りの楽園」に居ると、そこに見合ったものは眼に入りますが、
「そこを外れた夢や目標を見ることが出来ません。」

 夢も希望も要らないよと、実は、あなた自身がそこで言っていて、その住み慣れた偽りの楽園の外に出てこようとしていないのです。

 心の故郷のありかを少しつつ引越しすることで、
「盲点に隠れていた夢や目標を見出すことが出来るようになります。」

 夢を見ることが出来ず、夢をかなえることも出来ないのは、
同じところにとどまろうという力に対して「無知」「無自覚」「無抵抗」であるからです。

 こういう事情を知ったなら、今は見出せない夢や目標を見出すために
「まずは暫定的に何か目標を決める」というのが良いようです。

 《期限を必ず設けて》例えば
「自分は二年後に、会社を起業する」とか
「1年以内に本を書く。」とか
「今年中に彼女と一緒に暮らし、結婚する。」とか

 ちょっと実現できるかどうかわからないくらい、どうすれば出来るか難しいくらいの目標がいいようです。

 そして、二年後に会社を起業しているのなら
「今の自分はどうでなければならないか」ということを想定する事だというのです。

 《未来に於いて達成されているとするなら、現在の自分はどうでなければならないか。》

 その「今こうなっているべき自分」と「現実の自分」のギャップを認識する事が重要だというのです。

 そうして、「今こうなっているべき自分」に自己像を重ね合わせて行きます。
 「そうなっているかのように振る舞い」
「そうなっている時の思考、感覚を思い描き」
「そのように行動するのです。」
 服装、身につけるもの、言葉遣い・・・。

 そして、少しつつ、自己像をずらして行きながら、途中で小さな目標を達成するうちに、自己像は本当に変わって行き、
《どうせ俺は駄目なのさ》という
 コンフォート・ゾーンに居た時には認識できぬ盲点の中にあった
 真の夢、使命を見出す事が叶いはじめます。



次回もMindExpander 梅がエスコートします。



        MindExpander 梅




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 対人関係に悩む生き辛さを抱える方は、

 心の本籍地~コンフォート・ゾーンという「偽りの楽園」に縛られているようです。

 


『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 子供の頃に虐待を受け、長じては苛めに遭い、自分を受け容れられず、他者とのコミュニケーションスキルの持ち合わせが惨めなほど少なく、他人からの評価に心を刺されながら自分を嫌い抜き、いつでもゴメンナサイと言っている・・・
 強く言われたら、間違った事を言われていても何も言い返せず・・
 自分の欲求を伝える事が出来ない・・・

 こんな辛い軌跡を歩いてきた方が、

 ある日、ありのままで愛してくれる相手と出会い、信じられないほど心穏やかな日々を送り始めます・・・
 「夢のよう・・・でも怖い。 これが続く筈はない。」
 ありのままで受け容れてくれている相手を信じられなくなり、疑い、なじり、すがりつき、やがて相手は去ってしまう・・・。

 「ほらね・・・やっぱりそうだったわ・・・。
 これがあたしの人生なのよ・・・。」

(交流分析ではこれをラケット感情といいます。 慣れ親しんだ感情です。)


 こういう方が実はたくさんいるのです。
 「自分で帰ってしまうのです。心の本籍地に。」
 形は相手がたまりかねて去ったようでも、自分から御破算にしているのです

 僕の十代の恋もこうでした。
 父よりも好き、と言われたのに、自分が嫌で、自分から別れてしまった事があります。

 エアコンの温度調節機構になぞらえてこの説明をした方がいます。
 設定温度を越えても下回っても、自動的に設定温度に戻ってくる・・・。

 住み慣れた境遇に戻ってしまう・・・人にはそういう傾向があるようです。

 こういう、自分がままならない苦しみにある方に「夢」や「目標」と問うてもそれは酷な話しですよね。

 まずはこういう自分自身の事情を知り、認め、
 心の戸籍を少うしつつ移していくことです。

 医療の援助が必要な方、精神療法が必要な方、カウンセリングが必要な方・・・自助グループに「親換え」(この親換えということも後に詳しく綴ります)が必要な方もいます。
 焦らず、しかし信じて。
 
 
 少しつつ自分を受け容れられるようになって、自尊感情が上がって行くと共に、小さな目標を立てて達成感を積み重ねる事です。

 

アダルトチャイルド、アディクションの課題を抱える方は

「もしもこうであれば」という「未来のある一点」に何かしらの救いを見出したがりますが、

 小さな目標を立てて達成感を積み立てる事は

「今、出来る事をしっかりやる」ことを積み重ねる事です。


 お金さえあれば・・・宝くじが当たれば・・・

 恋人が居れば・・・よい条件の仕事にありつければ・・・


 こういった「言い訳を《夢幻の未来》に持ち込むのではなく、今をしっかり生きることで、生きていく上で目指す

 リアルな夢、目標(仮想の)が出てきます。」

 (これについてはまた後に詳しく綴ります)


 僕は小学生の時から対人関係ボロボロで、若い頃スポーツに手が出ませんでした。
 運動神経は良いほうだったのですが、チームでプレーするのと他の部員との関係が耐えられなかったのです。
 

 僕の同級生に小学校の頃、小さな身体で苛めと言うほどではないにしろ皆から疎外されていた男の子がいました。
 この人は中学から運動を始め、高校の三年間を同じ陸上競技に打ち込みました。
 19の時に再会して驚きました。
 背も高くなりましたが、何より驚いたのは、おどおどしてひ弱そうだった面影が全く無くなって、男としての迫力に満ちていました。

 ハンマー投げという限りない記録への挑戦という種目の中で、自分を鍛え上げ、競い合い、勝負の厳しい世界で偽り無い自分を受け容れ、記録を伸ばすように自分の自己像を高いところに移していました。

 自尊感情という自分の存在への評価と共に、
 「自分の能力、何が出来るかという事への評価」が高まっていたのです。

 つまり、彼は「少しつつ自分を鍛え、記録を伸ばし、レースで結果を出して行くことで、不退転の高い自己像、自己評価を物していたのです。」

 彼は競り合ってくると
「よしこい、この野郎。 もっと飛ばせ。 俺はその上を行ってやる。」
 そう思うのだそうです。
「俺より飛んでくれるな!」じゃないのだそうです。

 心の本籍が移ったのです。 もう彼は泣き虫に戻る事は有り得ません。
(ちなみに彼は大学にも陸上で入学、当時国内無敵だった室伏(父)のコーチを受けていました。)


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 自己像を変えていくために生活習慣から変えて行きましょう。
 例えば
 休みの日もジャージでゴロゴロせず、小奇麗な普段着で過ごす。
 食事は背筋を伸ばして優雅にゆっくりと味わい、人との語らいを楽しむ。
 自分が出来ることで何か人様のお役に立てることを見つけ、出来る事をさせていただく。
 募金に応じる。
 下を向いて歩かないで、時には雲が形を変えて行くのを見て楽しむ・・・etc。
 こんな些細なところからで構わないのです。
 

 始めたら続ける事が大切です。
 やがて「そういう自分になって行きます。」
 しかし「やんなきゃ」という意識になるようならマイナスです。
 《苦痛にしてはいけません。》 
 ですから、いきなり自分とは掛け離れた事をしないで、些細なところから生活を変えて行き「今」を味わい、楽しんで積み重ねて行きます。
 それが一番大切です。
 
 そして 自分自身に対して常にこの事を覚えて行きます。
 
「愛されている自分。 愛されるに値する自分。
 皆と一緒にいて良い自分。 皆と共に何かを出来る自分。 」

 「味わってはいけないと思ってきたことを味わっても良いし、
 断わっちゃいけないと思っていた自分を赦し、自分の意志を伝える。」

 これらに心を向けて行きます。

 アドラー心理学と、アドラー心理学に基づく親子関係講座SMILEを学び、アサーティブなどのコミュニケーション・スキルを学びます。

 これらの学びにより、対人関係の持ち方が変わると、「自分自身との関係」が変えられて行きます。


 《現在の自分自身との関係が変わると、現実を受け容れ、過去の記憶まで変ります。

 惨めだった過去・・・悔しかった経緯・・・思い出したくもなかった出来事・・・

 違ったものになって行きます。


 感謝できるようになります。

 すると、自分を制限していた枷が外れて行きます。(このこともいずれ詳しく綴ります)》

 自分自身との付き合いの上で、自分を肯定し、自分の能力を生かすため、「リフレーミング」についても学んだ方が良いでしょう。

 それらによって、「心の本籍地」は少しつつ移動して行きます。
 そして、意識して「心の本籍地」を移動させる事にも心を向けましょう。

 「あそこには戻りたくない。」ではなく

 
「こっちのが楽しい。 あたしには似つかわしい。」という肯定形の言葉で「より良い方に意識を向ける。」

 「あそこには戻りたくない」と思うと「あそこ」に意識の焦点が合ってしまい、引寄せてしまいます。

 ありがたいことに「心のうちで言う言葉、内言」よりも
 口に出して言う言葉の方が強いといわれていますから、否定形で
「悪い方には戻りたくない」と思ってしまったら、すぐ口にだして言葉で
「わたしは今ここが良い。 そしてもっと輝く。 そうなっている自分が見えた。」
 と言う肯定形の言葉によって否定形の思いを打ち消します。

 ですから、ポイントは「自覚して舵取りする自分と、自分の1.5人関係」です。

 無自覚に「わたし」ではなく。
 自覚して「こうなっていく私と舵取りする私」と意識して生きる事です


 心の故郷のお引越しは一朝一夕でどうなることではありませんが、意識しなければずっと同じところにいます。

 しかし決心するなら自分を変える事が出来ます。

 3年後、5年後の自分に思いを馳せましょう。
 どんな姿で居たいですか?

 誰も文句は言いませんから、遠慮せずに「素晴らしく素敵な自分」を描きましょう。
 今は心が縮こまっていて、思い浮かべる事が小さくても、やがてあなたは壮大な夢と、大きな目標を見出すでしょう。
 光り輝く自分を思い浮かべる事でしょう。

 そうなって行くと、あなたは自分に必要なものを引寄せ、なりたいもの、そう在りたい状態に向けて加速して行きます。

必ずそうなるのです

 これらの事を意識して生き始めたなら、自分の人生に信頼しましょう。
 そして、何より「今」を楽しむ事を心がけたいものです。
 
 何せ生涯に渡る一大事業なのですから。

                      
次回もMindExpander梅がエスコートします    




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『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」




 comfortは 直訳すると、快適な、居心地のいい、癒やしの、と言った意味です。
 zoneは地帯、区域。

 つまり快適な場所とでも直訳できますか。

 僕が8年ほど前に知り合った女性。

 三度結婚、三度離婚。 
 その時点では独り身でした。 
 三人お子さんがいらして、それぞれのお子さん一人一人が別れた三人のだんなさんとの間に設けたお子さんでした。

 別れた三人のだんなさんは三人とも
 働かないDVの方だったそうです。

 この30代前半の女性は、どうしてこんなに綺麗な方がそんな境遇に・・・と思うほどお綺麗な方でした。

 話を伺ってみると、お父さんはアルコール依存症でDVの方だったそうです。
 子供の頃お母さんと逃げ回っていたと言います。
 彼女には、アルコール依存症の他に幾つかのアディクションと問題行動がありました・・・。




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 コンフォート・ゾーンというのは本人が「快適と感じている場所」と言うよりは、
慣れ親しんで、
「ああ、やっぱりあたしはここに居るのよ・・・。
 ここがあたしには一番居やすい場所なの。」

 そう心も肉体もひっくるめて、全人格的に定めてしまった、
 「楽園とも言えるその方の 心の本籍地なのです。」


 何百人の男性の中から誰でも一人選んでいいよと言われても、
 その女性は「心の戸籍を移さない限り」 同じ関係を造れる相手を必ず引き寄せ、
 何度も同じ関係を造ることで「慣れ親しんで落ち着く場所として、ますますもって、そこを動くまいという決意を固めてしまいます。」

 断酒生活を送っているアルコール依存症者が、何年断酒しても、一滴の酒を自らの意思で唇に運ぶなら、
 その時には自制できても「程なく以前以上の悪い状態」に戻ってしまうのは
 飲んだが最後
 「これくらいなら大丈夫かな・・・」と「酒との綱引き」
(かって、とことん飲んで現実から離れ、幻想の中に逃げ込んでいたあの状態に戻る事との綱引き)
 すなわち、「コンフォート・ゾーン(心の本籍地)への帰還との綱引き」が始まってしまうからです。

 まず、この綱引きには勝てません・・・。
 自己嫌悪やら後悔やら自責やら、自己遺棄やら・・・とんでもない相手が綱を引いてるという体ですから(!)

 アディクションにはまった人間が一度は離れた依存対象と依存する関係を復活させるなら

 せっかく依存対象との関係を切って、自分の足で立つことを覚え、
《鍛えて(ここが問題なのですが・・・)》「心の住民票」を新しい場所に移動させて《踏ん張っていたのに》、あの慣れ親しんだ本籍地に帰ってしまうというわけです。
 (真実は、あの状態に帰りたくて、そうする(一杯飲む)と言えます。
 だから綱引きなんて勝てるわけないんです。)どちらにしろ、

 ああ、やっぱりあたしはこうなのよ。」
 「どうせ俺は駄目なのさ・・・。」となるのです。

 《なにせ慣れ親しんだ場所に較べたら、
  今は 踏ん張っている分、居心地いいと感じていないのですから。
 住所を移しても本籍が変わってないんです。》

 アディクションは共依存からの反応。
 

 親離れの問題といえますが、
 一貫した態度も目標も無い子育てと混乱の中で(機能不全)、自立して社会と調和して暮らして行く事が困難なほどに、その人の信念が育っていないことが問題であります。

 親がするのは「育児」。
 ですが・・・そこで連綿と繋がる悪しき連鎖によって「生き辛さ」を抱えてしまった者はどうすれば良い?

 自立して社会と調和して暮らせるという適切な行動が出来ぬほどに、その行動を支える適切な信念が育っていない場合は?

 認知の歪みにより、自己を受け容れられないばかりか、他者との健全な関係を築く事が出来ず、コミュニケーションのスキルを持たぬ者は?

 あくまで、一般的なものとして回復の流れを見たらこうなるでしょうか・・・(もちろん実際はこううまくは行きませんし、入り口も違うでしょうし、この回復のパターンには当てはまらない方も居ます・・・)

 
 過去の負債によって損なわれている自尊感情(セルフ・エスティーム)の回復、自己受容、認知の歪みに気が付いていくと言う事の始まりの段階には援助者の手助けが大きく必要です。
 その人の「損なわれぶりが大きければ大きいほど」
 治療の初期の段階では家族と医療が援助者としての大きな割合を受け持つでしょう。

 その後、当人が回復へ向きを変える時を迎え。

 医療が援助しなければならない割合は最初ほどではなくなり、自分たちで立って歩き出します。
 この時期からは、自助グループ、精神療法、カウンセラーが援助していく割合が多くなって行きます。

 ここからが問題です。

 自助グループでの回復には限りがあります。

 「他人(自分自身)との新しい関係造り」を学ぶ必要があるのですが、引きこもり、アディクションからの回復を目指す方は、
 「同じ在り様、関係の持ち方のまま《頑張って》生きようとする傾向があります。」

 認知の歪みや、損なわれている自尊感情の回復、自己受容の問題、コミュニケーションのスキルを学び、変えていくことなどをほったらかしにしたままです。

 それでは延々と続く坂道に、巨大な岩の球を押し上げて行くようなものです。
 で、グループの中で「つぶれた」など言ったりもするわけです。


 頑張るのではなく、学んで
育自」が必要なのです。

 回復といわれる事の半分は「育自」、自分自身の育てなおしです

 

『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 或るところからは、もう自分が自分の親になり、受け容れてやり、適切な行動に注目してやり、信頼し、共感し、赦し、
 社会と調和して暮らしていけるだけの自立を、
 「他者、社会、自然、もっと大きなものにまで繋がっている感覚にまで目覚めて生かされることが叶うよう」
 見守りながら育ててあげることです。
 
 「自分自身との関係」と自覚して変えていくことが必要です。
(そのものの)私でなく・・・「私と私」の1.5人関係です


 育自のなかには学ぶ事とトレーニングもありますが、
 認知が変わることで自分との関係が変わり、以前の「居心地良かった場所がそんなに居心地は良くなかったと感じられる」ということがあります。

 新しいコンフォート・ゾーンに本籍を移すわけです。

 それでも以前のコンフォート・ゾーンを体が覚えています。

 以前のコンフォート・ゾーンに戻らぬためには
 
 これらの事情を自覚して、
 
「自分自身との付き合いを生涯の大事業にすることです。」
 その上で、
 夢を持ち、目的に向けて生き始める事です。


 でもねぇ・・・ACだという苦しみに在る方・・・

 夢なんて持てなくてのたうちまわっているのです。
 
 



 では、夢はどうしたら持てるのでしょうか?



 次回に続きます  MindExpander 梅




    





           MindExpander梅




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『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」



 今日はお休み(公休)。

 (上は16世紀ルネサンス期の大画家ブリューゲルのバベルの塔) 


 ところでですな・・・。

 ま・そんなの当たりまえっちゃあ、当たりまえなんですが。

 人間は物事や相手の言ってることを、自分が意味づけしてしか見れない、聞けない、判れない、んですよ。

 そいで、こ~~んなことぉどなたもが経験しちゃあ、むかっ腹立てるわけです。

A 「あのさぁ、あんたこの前、ああ言ってたけど、あれ違うじゃん。」

B 「え?! 俺そんな事言ってないよ。」

A 「言ったよ! ほらぁ、この前、これはこうだ、って。」

B 「あぁ~~・・・あれ、そういうこと言ったんじゃないんだけど。
   あのさぁ、あれはね、こういう意味なわけですよ。」

A 「はぁ~~、な~んか、言い訳みたいに聴こえるけど。」


B 「言い訳ではなくってね、説明もしたけど、こういうことなんですよ。」

A 「ふ~~ん・・・まぁ、いっけどね。」

B 「いやいや。 いいけどね、じゃなくって、こういうことを言ってるんですけど?
   判ります?」

A 「そんなのわからないよ。」


   という具合でございます。

 このお話でBさんがした説明に不足は無かったのです。
 ただAさんの側で「Bさんのお話を違うものに翻訳して聞いたのです。」
 往々にしてこういう場合、日常生活では判らない方のほうが何故か強く居直っております。

 結局何年たとうが一度こういう場面があると

 「聞きそびれた方が後々まで話した側をいい加減呼ばわりする」ことがあります。

 さて衝撃の事実です。

 これを知ることが必要です。


 「誰でも相手の話を翻訳して、自分が自分に向け物語っているというのが事実です。」

 この時に《翻訳のツールと語彙が少ないと訳しきれなくなります。
 海を見た事のない方に海の話をしても、海を見た事のない方は「それなりの海を思い浮かべて自分に語る事は出来ません。」

 この書き方でお分かりでしょうか?

 共通の体験がないと「幅を持った、ある範囲内でのお互いの共通の認識を持てない
 ということです。

 それプラス

 「世界を認識するのには、自分の感覚から始めるしかなく、無自覚にそれで認識してるだけだと、自分だけが世界の中心」という視点に固着しちゃいます。

 「俺さえよければ」「俺が法律だよ」とかいうことじゃなく、
生まれながらにそういう意味で自己中心なんです、人間は。
 無自覚なら。

 で、認知の歪みというのを誰しも持って居ます。

 自分の抑え込んだ物を相手に見る「投影」ということも自動的に私たちはしてしまいます。

 「よかったね、おめでとう。」
 「よくねえよ!! 今更こんな事あったって、何も嬉しくねえよ」
 祝福の言葉を受け容れられず
こんなことを言ったりします。

 「頑張ってね大丈夫だから。」
 「まだ頑張らなきゃならないのか・・・もういいよ!」
 応援して信じてくれているのに自分がくじけていると、
こんな悲しいことも言ったりします。

 「そんなことないよ。 君、良くやってるってみんな言ってるよ。」

 「もう、そんな言葉も要らないんですよ! おれなんて。
 第一、こう言う事まで否定されたら逃げ道もないじゃないすか!
 ほっといてくださいよ!!!」
 判ってて、いじけてこんな事を言ってる場合もあるわけです。

 他にも「自分が理解出来ないのに、相手がおかしなことを言っているときめこんでいる。(自分を正統とするため)」

 自分を相手より上にするために
「自分が理解しようとせず、あらかじめ相手を間違いと決め込んでいく。」

 まあ、色んな場合があります。

 一つ一つ整理する価値はありますね。

 中学校くらいでこういう授業をして皆でワイワイ、コミュニケーションについて考える機会があればいいですよね。
 詰め込みの受験勉強じゃなくって。

 わたしたち全ては繋がっていて、人にすることは自分にしている事

 

 鏡の世界に住んでいて、それぞれがかけがえのない存在である。

 このことを小中学校から学べたら世の中は変わるでしょ。

 大人に向けてもいいし、幼児への教育についてもいいんですが
今まさにこれから大人になっていく、感受性豊かな10代の子らに、アドラー心理学に基づいた人間知とコミュニケーションの学びを、どなたかが与えて欲しいですね。

 切望しますぞ。

 ま、こういう事情を自覚したなら

 「自分にはこう聴こえたけど、それだけじゃないかもしれない。」という謙虚さを持つようにしたいもんです。

 「人は全宇宙の過去から未来までの全ての事象と繋がっていて、どのような過去も最善の事が為され未来に繋がっていくという事実」から離れちゃいました。

 おまけに、《ど近視眼》で

 「上下を競い、正誤を争い、貧富が命」になっちゃってます


 ご存知の方も多い聖書のお話し。

 

 バベルの塔が神の怒りを買い、崩されて以来、

 人は「たった一つの言語で自由にコミュニケーション出来ていたのが、バラバラにされてしまい、以降話が通じなくなりました。」 という寓話。

 これはね、日本語と英語、フランス語、イタリア語、広東語、スワヒリ語・・・。

 そういう言語の多様を言っているのではないのです。


 自分の感覚から始めるしかない自己中心ということについて無自覚なまま互いに挑みあっている姿を指しています。





『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」




『心の水平線』~MindExpander 梅の「心のストレッチ」


 上はギュスターブ・ドレさん(ダンテの神曲の挿画で超有名な19世紀の大銅版画家)の作。

 下はフランドル派の書き人知らずの作品。

 

つまりね「バベルの塔を天高く聳え立たせ、神の位置まで上り詰めようとしたが、人がその傲慢を膨れ上がらせたため神の怒りを買い、バベルの塔は破壊され、それまで万人が自由に真のコミュニケーションを取れていたのに、バラバラにされた」というお話は

 エデンの園追放

 つまり、神の言いつけに背き知恵の実を食べて眼が開けた人類は、その時点から、それまではアダムもイブも全裸だった身体にイチジクの葉で前を隠し、互いに隠し事をしなければならなくなり、死ぬまで額に汗をして働く
働かなくて良いなら、働きたくないという意識を持つに至った)。

この「創世記」の人類登場のお話の「焼き直し」

或いは「別バージョン」と言えるものです。


「自分」と言いますね・・・。


 わたし」、というのは「私ではないもの」つまり「わたしと、わたしではないものとが分かたれた」という事なのです。


 私たちは「自分という意識を持ち、ここに在ります。」


 私たちは自意識をもってこの世に自分が在ると目覚めたときから、

「見た目上、孤立しているように感じられます。」

 

「私たちの道は自分中心で始め、それを越えていく事。」


 つまり、実は鏡の世界のように自他の区別がない世界に生かされていて、自分を与えていく事が人間の使命であることに目覚めていく。


 ・・・「個以前」から

   「個」

   「そして個を越えて行く」


 これが人類全体の意識の進化の道で、そのフラクタルな顕れは

 実はアダルトチャイルドやアディクションからの回復の道に見られます。


 またこの事は回を改めて綴って行きます。


 ・・・さて

 「バベルの塔」は「アダムとイブのエデン追放」という寓話の焼き直し。

 寓話です。

 こんなお話を「一から十まで言葉どおりに信じ込む方は頭痛いですからね。」


 聖書のお話は、史実も入っていますが、利用しようとする一部の人間に都合よく改竄、編纂され、明らかな史実としての間違い、矛盾があります。


 ちなみにあたしは「死んだら天国地獄、に興味はなく、生きている人間の現在と未来を考えています。」


 キリスト教以前のユダヤ教では

地獄とは生きている人間が、自分だけの感覚で煮詰まって行く状態を言っています。」


 貝のように閉じた世界=ケリッポト、と言っています。


 誰からの愛も受け容れられず、自分を嫌い抜き、消し去ろうとする苦しみ・・・。

 それを地獄と言っています。


 


 結局ね・・・そこに


 「何を読み込むかは、読む方の内容により変わってきます。」


 あら、このお話のテーマです(笑)  メタテーマ(笑)


 みなさん、記憶だって現在の自分の状態、認識によって変わってしまうのですよ



 私の聴いた事は、「私が自分に話した事

 「相手の言っていることが何なのか、ある範囲内で互いに了解しあえているのは見かけ上の話で、事実は《判ってはいない》のです。」

 この衝撃的(当たりまえっちゃあ当たり前です)な事実を常にわきまえて、共感する上での基盤にしたいものであります。


 また機会があれば聖書に出て来る「言葉」について、幾つかお話します。

 


 次回もMindExpander梅がエスコートさせていただきます。



                       




 MindExpander梅




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