何十万人かに一人、痛みを感じられない人が居るという。
痛いのは嫌だから、そりゃいいや・・・って。
15年以上前に無痛症の子供を特集したテレビ番組を観た。
確かアメリカの男の子だった。 金髪の可愛い子だ。
夏休みのヨットで、父親が肉の焼けるにおいを嗅いで振り向くと、彼は楽しそうに真鍮の手すりの上を裸足でバランスをとりながら歩いていた。
もっと小さな頃には熱したストーブにもたれて絵本を読んでいたという。
痛いのは嫌だけど、生存に必要な基本的防御システムだ。
痛いから、それを予想して生命の危機を回避できる。
同じように、怒りや憤り、不安、悲しみなどの「通常ご免こうむりたい系の感情」も
人が生存するのに必要なものだ。
不安が無ければ、軽装で冬山に登山するだろう。
恐怖が無ければ、高速で車が行きかう二車線を注意もせずに徒歩で横切ることだろう。
アドラー心理学では「感情には相手と目的があり、使用している。」と考える。
たとえば、「怒り」を使用して、自分の主張を押し通す。
怒れば、アドレナリンが分泌される。
その力で「断固引かずにやりぬく」という効果を見る。
涙を流す時、同じように脳内にホルモンが分泌されるでしょう。
それで自分を癒やす。
そういう、システムでもある。
それは生まれながらの人に備え付けられている生存のための「基本的なシステム」でもあると僕は考える。
そのシステムについて判っていない・・・無自覚であり
自分がそのシステムを自覚的に「使用」しているのではなく、
「働いているシステムに振り回されている」のが生まれながらの人。
ということなのです。
以前アルバイトの同僚で、とにかく自分が楽しようとする人がいた。
僕は近くに行かないようにしていた。
しかし、並んで作業しなきゃならない時もある。
話しかけてくる。
僕とほぼ同じ年~50だったか。
彼:「相手の考えてる事をどうしたら聴きだせるかなあ?」
僕:「はあ?」
彼:「いや、娘がよ、男出来たらしいんだよ。」
僕:「へえ」
・・・「前によ、世話してやったのに断りやがって、いつの間にか知らないのとくっついてるんだよな。」
「え!? それどういうこと?」
「いやよお。 二十歳にもなって男っ気ねえのかなと思ったからよ、知り合いの若いのを紹介したんだよ。」
「え!」
「だってよお。 何処の馬の骨ともわからねえよおなのに持ってかれるんだったら、知ってるのに《やる》方がいいだろうよ?」
「・・・!!(何処の馬の骨かわからん・・・)」
「そしたらよ、知らねえ内に付き合ってる奴が居るらしいんだよ。
こないだ、酔っ払った勢いで誰だか聴き出そうとしたら教えねえんだよ。
親だもんよお・・・気になるでしょうよ!!」
「・・・(絶句)」
「俺にとっちゃあよ・・・子供が宝なんだよな。
梅ちゃんなんか分かんねえだろ。」
という具合・・・。
どう思われたろうか・・・。
完全に「子供を自分の所有物」にしていると思いませんか?
こういうのを「愛という名の支配」という言い方をする方が居る。
・・・
実は僕もそう思っていた。
10年以前の僕なら「最低だな、あんた!!」と言ったかも知れない・・・。
では今は?
確かに、子供を所有物のように勘違いしている。
こういう「ここではとりあえず(くれぐれも愛ではなく) 《情》 と言っておくが」
そういう「情」自体を以前は僕自身が疎ましがった。
数年前まで十代から、おふくろは毎朝出がけに一言いう
「子供ら歩いてるから気ぃ付けえよお。 車ではねるなよお。」
「雨降ってるから前見にくいど、人はねんなよ。」
毎朝毎朝・・・「やめてくれる?」と言い続けても声をかけてくる・・・
独り言のように。
自分の不安なのだ。
それを「俺におっかぶせて来るな!」
永い間の子供の頃からの憤り、抗議でした。
「あんたと俺とを一緒くたにして感じ、先回りして手を出してこないで!!」と・・・
僕は僕のことを自分がやりたかった。
母親の方で「見ていられずに手を出してこられちゃあ」
自分に立つ力があることを見出せず、学べず、不安ばかりが伝染してしまう。
それを「僕は苦痛として感じていた」
ただし、言葉にして訴えられるようになったのはもうずっと後のこと・・・
30代に入ろうかというようになってからだった・・・。
さて、そういう「子供にとっちゃあ迷惑な」「親の情」って・・・
完全に否定されるものだろうか?
或いは「愛し方が下手」と言うのとも、またちょっとニュアンスが違うと僕は考える。
次ぎの世代に命を繋げて行く・・・基本的なシステムが上記に言う
「情」なのだと考える。
それがあるから、子どものために頑張り、責任をもって関わっていけるのだ。
だから「いきなり、愛という名の支配」みたいに言ってしまう話しではない。
このことを吟味していくなら、いわゆる分離不安ということだって、今までとは又違う認識で捉えられる。
基本的なシステムである「情」を「使用していることに無自覚」であるがゆえ、こういった、「子供の所有物化」「自分の不安を投影」
という形で
「システム暴走状態」なのです。
同僚の「俺にとっちゃあ子供が宝」も「本人には確かにそういう気持ちだったのでしょう。」
娘にとっちゃあ「最悪、ゲロゲロ」な話でしょうが。
この「情」が「(真の)愛」と何処で違ってるのだろう・・・。
それを分けるとしたら情を無自覚に使用して相手に関わる者の「自己受容の度合い」ということかもしれない。
では、自己受容って・・・
生まれながらに独りっきり「周りに誰もいない、ただ食べ物と水があるような環境」で育ったら、自己受容って在るのだろうか?
・・・
次回に続きます。
MindExpander梅は あなたの命を輝かせるお手伝いをします。
あなたがご自分を赦し、新しい「今を」生きるお手伝いをしていきます。
アダルトチャイルド、アディクションの問題に苦しむあなたと
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これらの事も必ず、腑に落ちるようにこのブログに綴っていきます。
MindExpander 梅












