子供は「夫婦の愛の おこぼれで育つ」という人がいます。
その意味は
まず、夫婦がお互いを「尊敬し合っているということ」。
お互いを尊敬し合えるということは、お互いが
「弱い自分、欠けのある自分も受け容れられている」ということです。
その上で、ご夫婦が「人としての適切な距離感を意識して互いに関わっている。」という状態ですね。
これが
互いを尊敬しているのではなく、しがみつき、操作し合うようですとお互いを尊敬する以前に
「自分自身を見放している」可能性があります。
それが共依存に繋がります。
では、何故、その人は自分を受け容れられないかと言うと
「親から一個の人間として尊敬されていなかった。
在るがままの欠けがある自分で受け容れられなかった。
(子供がそう感じ取らざるを得ない状況に在った)」
と言えます。
これが「世代を連鎖する機能不全家族の悪しき構図の一番大きなものです。」
私の父と母は「お互いの言い分を押し通そうとして譲らず、互いに理解しあおうとする努力に欠ける方々でした。」
まだ元気で生きておりますが。
例えばこんな具合です。
母 「あんた! コロッケにソースかけすぎなんだよ!!」
父 「いちいち!!いちいち!!
働きの少ない者にはソースまでかけさせないのか?!」
母 「そんな事言うてないやろ!! なんでそうなるんだよ!!」
父 「給料の交通費の事までグダグダ言いやがって。
お前が家で何か言ってそれが変わるのか?
こっちは機嫌よくこの条件でやってるんだよ!!」
母 「そんな話ししてないだろうっ!!」
まあ、子供の頃から当時の茶の間の「ちゃぶ台の会話がこれでした」
母が「コロッケにソースをかけすぎ」と言った真意は誰にもわかりません。
① そんなかけたら身体に悪い。
② そんなにかけたら コロッケそのものの味わいがなくなる。
③ ソースがもったいない。
④ とにかくオヤジのすることの一つ一つが気に入らない。
言える事はこの時「親父」は③と受け取って居たということで、それには上記の会話(ケンカ)から判るように
それまでの経緯が既にあって「おふくろの言うことに対しあらかじめ色眼鏡がかからざるを得なくなっている。」ということです。
で、一緒に過ごし、食事をしていた僕が何を感じていたか。
怖かった。
生まれてきても何にも楽しいことはないし、大人になっても楽しいことはない。
何にも考えたくない。
この人らには自分の思うことや考えを言っちゃいけない。
そんなことを感じていました。
僕は「大優等生、完璧な良い子ちゃん」になって行きました。
そういう両親の関係が原因、とかは言いません。
本当のところは判らないんですから。
言える事は、僕は両親と同じように「自己評価が低い人」になりました。
「自分自身の存在そのもの」と、
「何が出来るのかという、自分の能力についての評価です。」
こんな会話(ケンカ、やりとり)が為されていた頃、オヤジは40代のはじめで働き盛り、営業部長として精力的に動き回っていたようです。
「塩辛いものや味の濃いものを体が欲しても当然だったでしょう。」
また、こんなやり取りをするようになるまでの経緯として、父は大正生まれで
「男は外で仕事、女は家を守り子を育て、朝は味噌汁を作って送り出し、黙ってついてくるもの」という勝手な信じ込みを生きていたという経緯がありました。
一度たりとて、まともに子供である僕の気持ちを聴いてくれたことも、人間対人間として会話が成立したこともなかったのです。
父が勝手に思い描く「人生こうあるべき」を押しつけられてきました。
母は僕が9つの頃から父に対する愚痴を垂れ流しにしてきましたが、そうならざるをえないほど、家族と交流を持たない。
持てない人間でした。
10人兄弟の4番目で親から構ってもらえなかった人らしいのです。
早くに死んだ兄弟もいたらしいそうです。
独立独歩の人ですが、子供や妻とも交流を持てないほど「自尊感情の低い人」。
8つ年下の妹が4つの時、休日に遊びに連れて行くと自分が言い出しながら
「一緒に行ってくれ。 どう接したらええか分らんねん。」と頼まれたことがあります。
僕は友達と約束が在るといったのに無理に連れて行かれ、挙句の果てにボーリング場に僕と妹を残して
「ボーリング場の人に頼んどいたから、遊ばせといてくれ。
俺、近くのお得意さんのとこに行って来るから。」
・・・唖然。
どう接したらもクソもないじゃないか・・・
自分はお得意さんのところへ遊びに行きたかっただけじゃない。
何年かして自分がバカにされていたと感じました。
子供が人として社会と調和して「自分を生きられるようになる」には
「両親がまず、自分自身を受け容れ、互いに尊敬しあって生きているかどうか。」
それって大きな要因なのです。
何故なら「夫婦が自分たち自身を尊敬できていなければ、子供を尊敬出来るわけないのです。」
ただし、自分の生き辛さを解消していくには「親がああじゃなかったら・・・。」
といつまでも言っていてもどうにもなりませんよね。
気持ちを吐き出す事が出来るようになったら、徐々に自分の事として
「自分の偏った認知のみの単線の生き方から、複線の生き方へ」進路修正していけばいいのです。
そして、弱く欠けのある自分を「自分が受け容れること」
自分に駄目だしせず、共感して「良い出し」「リフレーミングしてあげましょう」
成長を信じ、見守ってあげましょう。
私たちが投げ出さない限り、人生は必ず私たちに応えてくれます。
今苦しくても、必ずうまく行き、この過去も現在も糧となって、「それがなければ叶わなかった」
この人生をより深く味わえ、多くの方と「愛を与え合う事が出来る」明日に繋がっていることを知り、信頼しましょう。
それは事実です。
次回もMindExpander梅がエスコートします
MindExpander梅







