昨日のぐんまジュニアの練習は、期末試験前で中高生の休みが多くて、児玉先生の指導でしたのに残念でした。

その代わりに、中学受験、高校受験が終わった生徒が数人が復帰して参加しました。

ウクライナのサーシャさんがぐんまジュニア初参加でした。

また新島学園の弦楽クラブからチェロの男の子が初参加しました。


卒業生や講師の補助で、こうもり序曲、新世界フィナーレ、天国と地獄などの合奏が出来ました。

受け付けの和田さん、音楽事務所の新井さん、ライオンズクラブの湯川さん、ポーランド人ご夫妻の高野さんとアンドリューさん、皆さんありがとうございました。


打楽器の大吾君が、コロナでドタキャンになり、

せっかく苦労してティンパニーを運んで、並べたのにガッカリでした。せめて早く判れば良かったですが、音楽家を目指すなら体調管理が大切です

。今日はネパールの準備も有りますが、ティンパニーを返却しに玉村町へ行きます。


ぐんまジュニアの前に、13時から28日の日本台湾交流演奏会の練習を私がしました。来週ネパールに私が出かけてしまうので、もう練習は無いです。3月2日のライオンズクラブのパーティーの為に台湾国歌、赤トンボなども



先日の指揮者トルノスキー追悼コンサートの時に

飾られていました。ブサンソン指揮者コンクールに小澤征爾さんが優勝した前年に、トルノスキーが優勝したそうです。ただ旧ソ連のチェコ人だった彼は西側諸国で活動が出来なくて、やがてオーストリーのウイーンに家族で亡命?

確かに1970年代のチェコは悲惨でした。


そんな環境下で、指揮者トルノスキーの息子さんのファゴットのシュテファン(元ウイーンフィル)は13歳ぐらいで、ウイーン国立音大(旧アカデミー)に私の後輩として入学したそうですが、多分

私の帰国後になるようで、同じウイーンフィルのベルバが同じオーケストラの授業で、ファゴットで留学して来た馬込君と一緒で私が通訳をした記憶があります。確かドンファン(リヒャルト)で?