第二次大戦下の国交情勢に暗躍した「ゾルゲ事件」のリヒャルト・ゾルゲが、巣鴨拘置所で絞首刑となってから70年余りが過ぎた。
拘置所近くの無縁仏の墓穴に放り込まれた彼の遺骨は、今では多摩霊園の正規の墓所へと治され献花の途切れる暇がない。

ロシア生まれのドイツ人ゾルゲは第一次大戦中に三度の重篤な負傷を経験する。
戦争への深い懐疑を素因に、入院中のゾルゲはユダヤ人の看護婦から借り受けたマルクスを耽読し、共産思想に対する理想主義的思慕とロマンティシズムが萌芽する。

スパイとして日本に着任したゾルゲはドイツとソ連両国に、日本についての同じ諜報を打電する。
ドイツはそれを黙認したが、一方のソ連-スターリンは粛清と同義の悪意をゾルゲに一貫させたため、ロシアでのゾルゲの評価は度々曖昧に転変した。

さて、ゾルゲの風貌について我々が知る唯一に近い肖像が眉のつり上がったモノクロのあまり印象のよくない写真である事もあり、私にとってのゾルゲはいかにも冷徹なスパイ然とした一西洋人男性に過ぎないのであるが、実際のゾルゲは心身共にしなやかな美丈夫で、同性異性を問わず一緒にいて実に愉しく魅力的な人物だったようである。

無縁仏の墓穴から遺骨を探しあてゾルゲの汚名を晴らす働き掛けに余生を捧げた石井花子が、未入籍の愛人に過ぎなかったゾルゲの墓碑に妻花子と自らの名前を刻んだ行為には、些かに憐れなる女の執念が垣間見えるところであるが、ゾルゲとの日常にスパイの詐術を隠匿して余りある一人の女の生涯を釘付けて止まない情愛が汪溢していた事は容易に想像される。

石井花子との遭遇の場である銀座のドイツ料理店「ラインゴールド」には、あの美輪明宏が出演しており、美輪はゾルゲについて「見るからに素敵な人で、口説かれてノーと言える女はまずいない」と絶賛するのであるが…

生涯に及ぶ美輪への求愛を結局は受け入れられずに終えた三島由紀夫の眠る平岡家の墓碑が、同じ多摩霊園の敷地の僅か数歩の近きにあるというのは、私には震撼些かならざる奇縁である。

資本主義とは宿命として戦争という貨物を載せて走り続ける列車であり、その列車は我々を決して幸福にしないと私文に記した若き日のゾルゲの言葉には、一抹の無垢の真性があろうかと思う。

その真性は辣腕スパイゾルゲの完了を支える強靭な骨格であったろうが、ドイツとロシアという二つの祖国と日本が闘うことなく三国の民衆が共に共産主義の元に安寧であれと願った初心には、スパイとしての流麗な所作や弁舌とは裏腹な寧ろ不器用で一徹な純朴を見る思いがするのであるφ(.. )


多摩霊園17区1種21側16番
異郷の地、日本に葬られた泉下のゾルゲに、ベルリンの壁崩壊も旧ソ連の現況も見ないままの逝去は一縷の幸いと言うべきであろうか


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アワ・ピープル片倉由紀
万機公論に決すべしとした明治の民主主義は次第に変容し、いつしか天皇を神聖にして侵すべからざるものとして民衆から隔離した…

その推移を背景に大不況下の日本を席巻した思想家北一輝(きたいっき)は、明治半ばに流人の島佐渡に生まれた。
明治の自由民権の気風未だ冷めやらぬ環境に生まれた萌芽は、視力の衰えのため中等学校を退学し佐渡新聞社に入社する頃、階級制度廃止を標榜する社会主義への傾倒として先ずは開花する。

復学の早稲田大学在学中に執筆した渾身の著作『国體論及び純正社會主義』は危険思想と見なされ発禁処分となる。
公民国家を理想とする社会民主主義とも言うべき北の思想理想は、天皇も国民と共に民主主義に置換される民のうちにあり、天皇の国民ではなく国民の天皇であるとしたものである。
北は、ロシア革命の装束を脱ぎすて、借り物の社会主義から日本の風土文化に根付くものへと昇華してこそ万民に敷衍されると信じたのである。

北一輝の社会主義の特徴は、天皇及び国家の枢軸全てを敵と見なす幸徳秋水らの系譜とは違い、国家や天皇を国民に親しい家族のごとくに捉える点にあるが、その素地には承久の乱で政争に敗れた順徳天皇流罪をはじめ、日蓮や世阿弥など、時の権力者が転覆を畏れ佐渡の地に阻害した者を共鳴と同情を以て眺めた佐渡人の気風の故だったのではないだろうか…

けれども亜細亜主義者、宮崎滔天に感化を受け中国同盟に参加し、清王朝打倒の辛亥革命に於ける軍伐と孫文との流血の攻防を眼前にした北は、議会を通じた無血改革の限界を痛感する。
その痛恨は、やがて政府閣僚暗殺時代への道を拓き、世界恐慌の閉塞感と疲弊に惑う日本の青年らの憂国の想いと膠(にかわ)のごとき結束を持つに至る。

こうして北一輝の国家改造論は、礒部浅一ら陸軍将校の昭和維新決行への絶えざる不安を一気呵成に払拭し終に2月26日の敢行に至るを可能にしたのである。

クーデター二二六事件は失敗に終り、昭和12年盛夏、決起将校らと共に北一輝は処刑される。

辞世の句「若殿に兜取られて負け戦」

若殿とは、北が家族のごとく親しみを込めて呼称した若き日の昭和天皇のことである…

あらゆる革命や動乱は異常者のもたらす異形の奇行ではなく、おそらく民衆に吹き溜まる憤懣を掬う寧ろ最も自然なる一つの帰着なのであるφ(.. )


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アワ・ピープル片倉由紀
社会心理学でいう「認知的複雑性」とは、一言にいえば「複雑な事を複雑であると認識することの出来る能力」である。

上司が部下にイエスかノーかだけを求め、とにかく具体的な数字をあげよと下達することは日常的によく見られる光景であるが、「認知的複雑性」の有無の視点からするならば、偏に能力の欠如を自らが発信する言動と言わざるを得ない。

「認知的複雑性」を自戒する指導者は厳しい表層の内心に、易々と判別されぬ事象の社会における圧倒的な割合の多さを知っている。
この世で最も多い色は、白でも黒でもない際限なき中間色である事を知っている。
一つのプロジェクトが完了するために、どれ程の人間の思案と汗と痛飲と眠れぬ夜があったかを知っている。
頓挫し失敗した事案の言い訳をせず口をつぐむ部下には、書籍一冊を費やしても足りぬ封印された彼の忸怩がある事を知っている。

そして「認知的複雑性」が相互に交換される連関の理想実現は、合理主義の跋扈する世には至難である…

さて、日中戦争開戦に対する対立者として並記される東條英機と石原莞爾であるが、生涯にわたる彼らの対立の根幹にあるものは、「認知的複雑性」を欠如した者同士の近親憎悪だったのではあるまいかと私は思う。

現地中国人の下手であると見せかけて関東軍の武力決起理由を捏造した柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)の首謀者として満州国進攻に暗躍した石原莞爾には、日蓮宗に帰依する修道者としての側面があった。

日蓮の「末法思想」への個人的傾倒を国家に投影し見果てぬ夢を重ねた天才型精神論者と、立身出世のため臥薪嘗胆の努力を重ねた小心の実際家である東條との確執は、一見して理解される易い対立軸ながら、日米開戦を昭和天皇に報せる上詔書を読み上げながら号泣した東條の幼児的心性と、石原の描いた国家幻想は本質的には相似のものではなかったかと思うのである。

戦争を始めた責任と戦争に敗けた責任とに分かたれこそすれ、三百万余の自国民の死屍累々を牽引した両者の顛末は絞首刑と病死とに各々ながら、この二人は共に「認知的複雑性」から最も乖離した極めて不適格な指導者であったといわねばなるまいφ(.. )

本土決戦の盾となり酷暑の沖縄総力戦の犠牲となった無辜の民の無念に、色鮮やかなるシークワーサー献杯の沖縄料理店にて


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