序章:またしても黒字、その利益は誰のものか
2025年秋、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が14兆4,477億円の黒字を計上した。四半期だけで日本の国家予算の8分の1に相当する巨額の運用益である。
2001年度の市場運用開始以来、GPIFの累積収益は180兆円を超え、運用資産総額は277兆円に達した。
しかしこの利益は、いったい誰のものなのか。「国家の黒字」だと報じられるが、そうではない。この原資はすべて、国民と企業が拠出した保険料であり、GPIFはその資金を「国家が代理で運用している」にすぎない。つまり、これは国家ではなく国民が稼いだ利益なのだ。
第一章:年金財政の実像 ― ほぼ均衡する収支
現在の年金制度では、年間の保険料収入は約55兆円。国庫負担(税金)を含めると約70兆円。そして年金給付支出もほぼ同額の約55〜60兆円。つまり、収入と支出はほぼ均衡しており、積立金として新たに残るのは、毎年せいぜい1兆円前後だ。
このわずかな黒字と過去の積立分がGPIFに預託され、それが世界市場に投資され、277兆円のファンドを形成している。
元本約97兆円に対して累積運用益が約180兆円、つまり、運用益が元本を上回る“超国民ファンド”がすでに存在しているのである。
第二章:それでも還元はされない
ところが、制度上この運用益は「将来の給付安定化資金」として扱われ、
国民に直接還元される仕組みは存在しない。国民がリスクを取り、国民が出資し、国民が利益を得ているにもかかわらず、
その果実は「特別会計」に吸収され、誰の手にも戻らない。まるで、株主に配当を出さない株式会社のような構造だ。
国民は国家の投資家でありながら、その配当を受け取れない。
この制度的不均衡を正す必要がある。
第三章:「番犬ミクス」― 国民資本主義への転換
ここで提案したいのが、「番犬ミクス」である。それは、GPIFを形式的にも実質的にも「国民ソブリンファンド」として再設計し、運用益の一部を国民に直接リターンする仕組みを構築する経済思想である。
仕組みはシンプルだ。
• 年金制度維持に必要な最低利回り(例えば実質1.7%)を確保した上で、
• それを超える運用益(例:平均4.5%−1.7%=2.8%分)を「国民還元枠」として切り出す。
この還元枠を、
① 保険料の一時的引き下げ
② 所得税・消費税の減免
③ 教育・子育て支援の直接給付
などに自動的に配分する。
これにより、国家財政を悪化させることなく国民の可処分所得を構造的に増やすことができる。
第四章:ノルウェー型ではなく「日本型番犬モデル」へ
ノルウェー政府年金基金が石油収益を国民に還元しているように、日本も「労働と保険料による資本」を国民に還元すべきだ。
だが、日本版は“安寧の哲学”に基づくべきだ。利害対立ではなく、「中空=場」における共存の仕組み。
つまり、分配ではなく循環。
これが「番犬ミクス」の本質である。
結語:国民が国家の株主であるという覚醒
アベノミクスが日銀マネーを刷った経済なら、番犬ミクスは国民の信頼資本を循環させる経済だ。
国家を信じるのではなく、国家に投資した国民を信じる仕組みへ。すでにエビデンスはある。
277兆円の資産、180兆円の利益。
これを「国民配当」として動かせば、日本経済は一気に“安寧循環”を取り戻すだろう。
「政府の黒字ではない。これは国民がリスクを取り、得た正当な利益だ。」
番犬ミクスそれは国民が自らの資本を取り戻す、新しい文明の経済モデルである。
