地元でサーフィン黎明期ドキュメント映画が封切されるタイトルは、JapaneseBreak

戦後間も無く当時の若者がサーフィンを知りのめり込む今ではレジェンドとなったビジネスとして立ち上げた70歳代皆様のドキュメント映画であります。

学生時代からサーフィン映画と言えば地元では藤沢市民会館で開演されるのです。が、30有余年前はサーフィン映画自体貴重なイベント映画となるため、大した内容ではないのですが、テキーラやウォッカを呷り、禁煙なのにガラムをスパスパしながら盛り上がるロクでもないサーファー諸氏が参集していた思い出があります。
この映画も御多分に洩れず藤市民会館で上映されます。ここでは、地元湘南サーフィン黎明期を代表する佐賀三兄弟が登場し当時の逸話が紹介されております。

ここに湘南学園の豊田久吉先生は小職の恩師でもありオリンピック金メダリストで当時は峰島久吉先生と改名されてはおりましたが、戦前松竹一期生高峰三枝子さんと共演された俳優でもありました。
戦後体育教師として湘南学園へ奉職されたようです。小職が小学三年生の頃、大阪万博がありました。1970年のこんにちは!
当時大変指導は厳しくも授業は優しく楽しい峰島先生、爪の検査では、万博出品するような杜撰な爪をのばしていると喝!と、注意され、呪文ようにばんぱーくばんぱーくばんぱーく!と、児童へ爪巡回をされていました。実は峰島先生は、我が日本大学法学部出身水泳部のエースとして日本代表となり1932年ロスオリンピック金メダリストになった桜門レジェンドでありました。
どうして湘南学園の体育教師に奉職されていたのか存じませんがスラっと長身で25mプールは飛び込んでふたカキ、みカキで泳いでしまうそんな記憶があります。小職も今サーファーであるのも峰島先生の厳しい指導の賜物であります。
恐らく初めて体育会系指導を受け、泣きながらバタ足し、シゴキまでいかないまでも洗礼を受けた最初の先生だと思います。
残念ながら父の転勤により湘南学園小は卒業出来ませんでしたが、5年3カ月過ごした幼少期、暴れまくった時代でした。
我々より15から20歳先輩になる佐賀さんも実は桜門建築の大先輩であります。

サーフィン黎明期に関わる大先輩レジェンドの皆様中にも桜門OBが多く活躍されていたようです。是非上映会には参加したいですね。