土木は、英語で「Civil Engineering」と言われるように、地域住民や市民の日々の生活に欠かせない社会基盤を支え、安全で安寧な環境を提供する使命を持っている。
日本では、この分野の学術学会である土木学会をはじめ、多くの専門分野の学会が存在し、同様の理念のもと、様々な課題解決のために研究を重ね、実用化に取り組んでいる。
建設産業は、大きなピラミッド型の構造を持ち、大手ゼネコンが全国規模でスケールの大きな社会基盤整備を担っていることに注目されがちである。しかし、建設産業の根幹を支えているのは地域に根ざした地場ゼネコンであり、いざという時にはその力を発揮する。例えば、東日本大震災の際、未曽有の災害当初の初動における被災地では、自社に車両系建設機械を保有している地場ゼネコンが唯一の啓開(けいかい)の役割を自衛隊と共に担っていたことは記憶に新しい。

当時、「コンクリートから人へ」という建設産業無用論が国土交通省大臣自ら宣言するほど、建設業界は辛酸をなめていた。東日本大震災前後の建設業界は再編の時期を迎えており、土木の総本山とも言われた「土木工業協会」が、奇しくも東日本大震災発生の翌月にその看板を降ろすこととなった。このような状況にあった建設業界で、自らを虐げられた業界と認識する者も多かったであろう。
しかし、大津波により東北沿岸の町々が壊滅し、国難に瀕した福島第一原子力発電所事故では、「日本沈没」を揶揄する学識経験者がテレビでコメントするようなカオスな状況に陥った日本。そのような徹底的に打ちのめされた被災地の啓開に取り組んでいたのは、地場ゼネコンの方々であった。また、当時の国土交通省東北地方整備局を中心に、各出張所に設置されているモニターを通じて被災状況を一元管理していた画面が被災し、蒼い画面になった場所が被災した証となる悲惨な状況でも、地場ゼネコンの有志は当該自治体災害協定を保持し、その使命を果たそうとしたことが知られている。
そこには、絶望的な景色の中でひたすらに啓開作業を行い、復旧に向けての礎を築くために真摯に取り組む地場ゼネコンの土木技術者やオペレーターがいた。そして、その当事者も実は被災者でもあった。自己犠牲の究極がここに垣間見られる。戦国時代の「しんがり」とも言える取り組みであり、日本の建設産業の誇りと感じた関係者も多くいたことであろう。


土木の起源を紐解くと、社会基盤整備という観点から古くは奈良の大仏を建立した大僧正行基まで遡ると言われる。行基は、昆陽池や狭山池など、1200年前から現在でもため池として機能している社会基盤施設を築いた。これらは地域住民や農民などの声を聞き、課題解決のために行基がまとめ役として作り上げたものである。このまとめ役が土木の源と言われ、「利他行の精神」により成立したものである。
この「利他行の精神」は、現在でも日本の建設産業の志としてしっかりと受け継がれており、東日本大震災での地場ゼネコンの姿と重なって見えるのも不思議ではない。建設産業では、さらに様々なステークホルダーからの要望や苦情、トレードオフするような事象、合意形成に至るプロセスをマネジメントする能力が必要であり、「つくる力」と「まとめる力」が求められている。これが俯瞰力であり、技術者だけでなく土木が「Civil Engineering」と呼ばれる理由の一つであると考える。


日本という国は、ある意味がれきの上に建国した災害大国であり、国難を何度も経験してきた世界的に類を見ないほど自然災害の多い国土である。2600年以上もの間、日本人は安寧な環境を夢見て、現在に至るまで世界一安全な国を作り上げてきた。科学技術や解析が進み、地球温暖化や南海トラフ地震、首都直下型地震が確実にやってくる中、国土強靭化を国是とし、地域の守護神として、しんがりとして建設産業がその使命を果たすことが求められる。


これからの土木は、技術力と俯瞰力を併せ持つダブルスタンダードなスタイルが求められる。そしてその基本にあるのは、大僧正行基の「利他行の精神」が志として受け継がれていくことが極めて大切なことだと言える。土木は、「不易流行」である。時流に合った柔軟さと本質を弁えた堅さ、その魂にあるのが「利他行」である。
次代を担う方々には、土木の魂は「利他行」にあり、これからもこの精神を持ち続けることが重要であると強調し安寧なる未来の日本を託したい。