12年前、一徹親父が鬼籍に入った。その一ヶ月後ある企業経営者から事業継承のオファーレターを賜った。一徹親父に翻弄されたガラスの10代、特に思い入れがあったわけでもなく入社したグループは、ロクな先輩しかいないポンコツ会社だったがある意味それは何をやってもパイオニアとしての立場になった。が、チロリン村企業には魅力はなくコレを機に同窓先輩企業へ行くつもりでいた。が、わずか一ヶ月後、東日本大震災により日本は沈没寸前、国難に対峙することになった。オファーレターは対峙するにはチロリン村企業でないと現地へ赴くことが出来ないため、破棄にした。

その後、東日本大震災ではさまざまな実質的な復興支援に寄与しチロリン村企業を早期転籍しIPO出来損ない企業を経てフリーエージェントな仕業を満喫する立場になった。この12年、そんな変遷を思い出しながら亡き一徹親父を偲んだ。

斎場には股関節痛のため胡座は右足だけという仏像に出会った。気持ちが痛いほどわかる。読経は、一遍上人いにしえの文言中、一徹親父を偲んだ。

一族郎党参集し家長で当時の武勇伝の一端を次代を担う連中へ語るとほとんど公言を憚れるトピックスに不思議な憧れがあるとインプレッションがあった。

流石隔世遺伝だ。半世紀お世話になっている鎌倉の迎賓館、華正楼さんへ直会、

献盃にて建設業界の暴れん坊として活躍された一徹親父に捧げる。

名門中華、鎌倉の迎賓館、趣のある風情がたまらない。素晴らしい!

北京ダックが大好物なのは、中華の原点、華正楼さんがベンチマークになるのが半世紀のお付き合いの証である。

一徹親父が好んだ紹興酒熱燗レモン漬けと合わせるのが正統Style、米寿になるモンスターMOTHERが支えた一家の団欒は感謝と恩返ししかないだろう。

親子三代土建屋だった一家はその末裔として今があり歴史は語るだけの価値はある。戒名を自作したなんともふざけた話になるか、海に憧れた山猿が東京で一旗あげた人生を語るは、
陽光院豪阿昭盃居士、、土木の偉人だったことを偲んだ十三回忌は御開きとなった。
合掌