戦国大名浅井氏の居城小谷城。
その城が築かれた小谷山のいちばん高いところを「大嶽」と呼んでいます。
「大嶽」は「おおづく」と読みます。
しかし、ふつう「大嶽」は「おおづく」とは読みません。
「大嶽」はたいがい「おおたけ」と読みます。
野球賭博で
日本相撲協会を解雇になった元関脇貴闘力は
大嶽(おおたけ)親方でした。
ここでは、この「大嶽(おおづく)」という地名の由来について
ちょっとだけ考えてみたいと思います。
まず、なぜ「大嶽」は「おおづく」と読むのでしょうか。
いろいろと調べてみると、
そのヒントが『近江輿地志略』(享保19年(1734)成立)にありました。
そこには「大築嶽(おおつきがたけ)」と書かれていました。
また、江戸時代につくられた
小谷城絵図(淡海温故録附巻古城之図)にも
「大嶽」「大築ヶ嶽」と並記されています。
これらのことから推測すると、
おそらく「大嶽」は本来「大築嶽」「大築ヶ嶽」と表記していたのですが、
あるとき最初と最後の二字に短縮して
「大嶽」と表記するようになったとみられます。
そして、このとき読みについては
最初の二字「大築」にあたる「おおつく」を残したようです。
このように考えれば、なぜ「大嶽」を「おおづく」と読むのか理解できそうです。
【小谷山の最高所が大嶽】