米原市弥高の集落は、
伊吹山南麓の扇状地にある。
小学校か中学校の社会科の授業でつかった教科書か、資料集かに、
弥高のことが扇状地の典型例として紹介されていた記憶がある。
百聞は一見に如かず、
どんな地形なのかは、地図で見てください↓。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=136.39593055581&latitude=35.388114496188
まあまあ、それはともかく、
弥高はこんな土地柄だから、田んぼがない。
大根、大豆、小豆などを畑作する以外は、
山仕事で生計をたてるほかない寒村だった。
江戸時代も終わりの頃、
この村に松本五郎平さんという人が生まれた。
朴直で忍耐つよく、篤農の念が厚い人だったという。
長じて以降、
弥高の土地にふさわしい農作物はないかと、
いろいろと探し求め、
自分の畑に桃、栗、リンゴなどを試作しては、
ことごとく失敗、しだいに財産を食いつぶしていった。
村人はこの様子を見て嘲笑したが、
五郎平さんはまったく意に介せず、
ますます盛んに、
ふさわしい農作物を、
あちこちに探し求め歩いた。
こうして安政年間(1854~1859)に至って、
五郎平さんは、
ようやくこれぞ有望という農作物に出会うことができた。
尾張(愛知県)から持ち帰った
甘薯(サツマイモ)の種苗である。
五郎平さんは、このサツマイモの栽培方法を研究し、
また村人に広く教えたので、
サツマイモは弥高の特産品として、
遠近に聞こえるほど有名になった。
そして、
弥高の人々はそのサツマイモの収入で、
他集落の水田を購入していったから、
弥高は古来の寒村を脱して富裕の村となったという。
弥高の集落の平野神社の社務所横に
五郎平さんの碑が建てられている。
【弥高の平野神社】
弥高さつま会のみなさんがつくってくれた、さつま汁。
うまかったなあ。
どんぶりに2杯くっちまった。
これも五郎平さんのおかげです。