いまタイを、ものすごい大洪水が襲っている。
そして、
その被害が日本の製造業にまで
深刻な影響を与えているなどと、
日本でも大きな話題になっている。
今から120年ほど前、滋賀県でもこれと似たような大洪水があった。
明治29年(1896)年
滋賀県では9月3日~12日の10日間で、
年間降水量の半分以上にもあたる大雨(1,008mm)が降り続き、
同13日には瀬田唐橋にある鳥居川量水標が+3.76m
(一時的には+4.09m)を記録している。
この大洪水により、
滋賀県では琵琶湖岸からかなり離れた内陸部までが水につかった。
そして、
現在の近江八幡市では、1階の屋根の高さまで水没した市街地に、
舟を浮かべて移動する写真が残っている↓。
http://www.pref.shiga.jp/biwako/koai/handbook/files/t6_2-3.pdf
今から15年くらい前、
彦根市の稲枝地区で
このときの大洪水の話を、
当時80才くらいのご老人からうかがったことがある。
その老人は、ご両親が洪水にあったといい、
父親が住んでいた湖岸の村が水没したので、
内陸部の村に避難したところ、
その避難先の村で、かわいい娘と知り合った。
「それがわしの母親で、わしが生まれた」と語っていた。
また、
「田んぼも畑も水びたしで、
稲は腐って米は獲れなかった代わりに、エビがたくさん獲れた」
「それでエビを売りに行ったけれど、
あまり売れなかった」との話も伝え聞いていた。
タイの大洪水のテレビ報道をみていたら、
水につかった市街地で投網をうって、
魚とりをするおっさんの姿が映っていた。
テレビ画面だけをみていると、
ただの呑気なおっさんにしか見えないこともないが、
さきの老人の洪水物語を思い出すと、
現在のタイの人々のあいだにもきっと
洪水をきっかけとして、
負ばかりではないさまざまなドラマがうまれ、
後世に語りつがれるんだろうな、と思ったりする今日この頃です。
大好きなタイの街から、一日もはやく大洪水が去って、
活気あふれる街が復興することを祈念します。
【彦根市上岡部町の洪水碑】
滋賀県内には、こうした洪水碑があちこちに建てられ、現存する。