ラグビー部員一回生の難波慶です。
森君の次に自己紹介をしたいと思います。
宮下さんに長めに書けと言われたのでどうでもいい事も含め長めに
1993年7月11日に和歌山県和歌山市で生まれ3歳まで兵庫県
兵庫県西宮市といえば甲子園があることで有名ですが、
4歳になったときくらいに岡山県に引っ越しまして岡山大学附属幼
幼稚園時代はサッカーと空手を主に真剣にやっていまして、
岡山大学附属幼稚園は、岡山大学附属小学校、
そのエスカレーターにのって中学校まで進学しました。
入ってサッカーのルールの「オフサイド」
することができなくなったのと、
野球を始めることになりました。
監督の指導もすばらしくめきめきと上達して いきました。
「腰を如何に使うか!それが飛距離につながる」「
これらを肝に銘じつつ、
気が合う人たちばかりだったので楽しく野球をすることができまし
点数だけ見たらラグビーの試合なのかと思うくらいの点数差で負け
ポジションはライト→レフト→キャッチャー→時々ピッチャー→
監督は当時巨人の二岡を意識して背番号は7番をつけていました。
ちなみに小学校当時の好きな選手は西武ライオンズの中島裕之選手
小学校のチームを卒業し、中学校に入学しました。
結構少なく、入部してから未経験者と少し差が ついていて小学校時代に野球をしていてよかったと感じました。
相当ピッチャーの球速やバッターのボールを飛ばす飛距離がけた違
中学入学当初はショートでは守備のうまいやつがいたため、
、グラウンド整備中心でした。
だんだん試合に出れるようになってきた中2の夏ぐ らいに大きめの盲腸にかかってしまい少々チームから離脱してしま
この時期からキャッチャーも練習しだし、
キャッチャーの面白味は一球一球ピッチャーの投げる球に集中でき
当然、座っては立ちを繰り返すし、
中学時代で思い出の試合は中学3年最後の試合で奇跡の2連勝する
奇跡のポテンヒットをかまし、逆転勝ちできました。
ちなみに中学校当時の好きな野球選手は城島選手でした。
もちゃもちゃ事情が重なりやったこともないラグビーを始めること
3年生が卒業した年からどんどん雲行きが怪しくなってきました。
なってしまい僕が2年生になった時の入部性はたったの一人になっ
2年生の時はまだ練習が充実まではいかなくても人並みにできてい
練習がほぼできないうえ、
チームごとでポジション事情が異なっていたため、僕はセンター、
岡山から花園に出ているチームもボロボロにやられてしまいます。
と今になって痛切に後悔しています。
岡山朝日高校補習科での一年の浪人を経て阪 大に入学でき、今に至ります。
あと僕はMr.Childrenをこよなく愛しています。
つらいことがあった時や受験シーズンも、
来ました。
貼ろうと思うので、行き詰っている方や元気を出したい方、
息を切らしてさ 駆け抜けた道を 振り返りはしないのさ ただ未来だけを見据えながら 放つ願い
カンナみたいにね 命を 削ってさ 情熱を灯しては また光と影を連れて 進むんだ
大きな声で 声をからして 愛されたいと歌っているんだよ 「ガキじゃあるまいし」自分に言い聞かすけど また答え探してしまう
閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて きっと きっとって 僕を動かしてる
いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしたい もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅
誰と話しても 誰かと過ごしても 寂しさは募るけど どこかに自分を必要としてる人がいる
憂鬱な恋に 胸が痛んで 愛されたいと泣いていたんだろう 心配ないぜ 時は無情な程に 全てを洗い流してくれる
難しく考え出すと 結局全てが嫌になって そっとそっと 逃げ出したくなるけど
高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな まだ限界だなんて認めちゃいないさ
時代は混乱し続け その代償を探す 人はつじつまを合わす様に 型にはまってく
誰の真似もすんな 君は君でいい 生きる為のレシピなんてない ないさ
息を切らしてさ 駆 け抜けた道を 振り返りはしないのさ ただ未来へと夢を乗せて
閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて きっときっとって 君を動かしてる
いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしよう もっと素晴らしいはずの自分を探して
胸に抱え込んだ迷いが プラスの力に変わるように いつも今日だって僕らは動いてる
嫌な事ばかりではないさ さあ次の扉をノックしよう もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅
自己紹介はこれで終わりたいと思います。
次は新屋敷君です。面白い自己紹介を期待しましょう!