ふかしからよく分からないつながりで紹介された根岸克行です。
宮下さんから本気で主張してくれと言われましたので、色々書いてみます。
私は大阪の南の方の富田林市出身です。宮下さんと近いです。中渡瀬とも結構近いです。
学校は西大和学園に6年間在籍していました。一浪しているので、杉本が1つ下の後輩にあたります。西大和は縦のつながりがほとんど無くて普通に初対面でしたが(笑)。また、SSで一浪していて、中渡瀬とは1年の付き合いがあります。
実家の最寄り駅は南海高野線の金剛駅なのですが、この南海高野線がやっかいな奴で、毎朝駅員が乗客を押し込むというものでした。この南海高野線に中高6年間、浪人1年間、合わせて7年間ずっと苦しめられ続けていました。
しかし、今は念願の夢である下宿生活を実現させています。今は石橋に下宿していて、電車に乗らなくて良い最高の生活を送っています。下宿フリーダムすぎてやばいです。自分に歯止めがかかりません。限界突破がとどまるところを知りません。ヒャッハー!
少し趣味について書いていきます。
まず、私は珈琲が大好きです。珈琲は人生です。人生は珈琲と共にあります。珈琲は人生です。美味しい珈琲を飲めば、後味が素晴らしく、口が幸せになります。私が珈琲をたくさん飲み始めたのは中学3年生の頃でした。祖父がかなり自分で珈琲を色々淹れる人でした。その祖父が亡くなった後、祖父が使っていた珈琲を淹れる道具一式を使えるようになり、豆を挽いて淹れてみると、缶コーヒーとは比べものにならない美味しい味がしました。この時、1回目に感動しました。これ以降定期的に飲むようになったのですが、しばらくしてミルを良い物に買い換えました。ミルとは豆を粉にする道具のことです。ナイスカットミルと呼ばれるミルを購入したのですが、このミルはすりつぶすタイプの物ではなく、カットする物で、また豆の表面の成分が抽出されない皮の部分もある程度取り除いてくれる機能があります。そのため、これを用いて珈琲を淹れると味がとてもきれいになりました。この時、2回目に感動しました。またしばらくして、コーヒーフィルターをネルに変えました。一般にコーヒーフィルターは紙のペーパーフィルターが広く用いられています。確かにこれは手軽ですが、珈琲豆から出る油分も吸収してしまい、油分は抽出することが出来ません。しかし、布であるネルというものを用いて抽出すれば、紙だと抽出できない油分も抽出することが出来、飲んだ時の舌触りが柔らかくなり、味が大きく変わり、素晴らしく美味しくなります。この時。3回目に感動しました。珈琲は本当に美味しい良い物です。しかし、この世の中は珈琲では無いものに珈琲と名付けている物が大変多く悲しみを覚えます。スタバについても思うところがあります。スタバは珈琲に様々なクリームなどのトッピングを施し、ブラックで美味しい珈琲というものにはこだわらないのにもかかわらず、良い豆を世界中から買い占めて豆の値段が上がり、その上その豆が無駄に消費されるという事態が起こっています。良い豆を買い占めるなら、それをちゃんと使って貰いたいと思います。私は美味しい珈琲を飲むことを推奨し続けたいと思います。下宿先に来て下さった方には珈琲を淹れますのでまた遊びに来て下さい。
他には、東京事変も大好きです。受験の面接が終わった次の日に東京へ行って余裕でラストライブ見に行く位に大好きです。解散してしまったことが悲しすぎてやばいです。未だに新曲が出ないという事実を直視できないで居ます。カラオケでは事変ばかり歌うかもしれませんがご容赦下さい。
今までの部活等について書いていきます。
まず、幼稚園年長から小学校低学年の頃は器械体操をやっていました。その頃は体も柔らかく、体重も軽く、バク転も出来たらしいです。今では見る影もありません。体は硬く、体重は重く、バク転なんてしたら確実に骨折します。
次に、小学校3年生から5年生の間少年野球をやっていました。その頃はかなり体力があり、土日は朝の8時から夕方の6時までグラウンド上を全力で駆け回って運動していたらしいです。これもまた今では見る影もありません。フィットネスに全く付いていけず、自分に不安を抱えているのが現状です。この頃、私の居たチームはかなり強く、府下でもトップを争う強さでした。そこで、優勝したときに監督がバイキングをおごってくれるという出来事がありました。そのとき、友人と大食い対決をして、限界を数え切れないくらい突破してとんでもない量を食べました。そこで胃袋がでかくなったか、脳の認識がおかしくなってしまったか、それ以来食べる量がものすごく増えました。今でも満腹を感じることはなかなか無く、自分の燃費の悪さが財布に響いてきています。
そして、中学の時は野球部と卓球部でした。中学1年生の時は野球部に入ったのですが、1年生の間に3回も骨折してしまい、それで練習に出られないことを顧問の先生に難癖つけられ、しかし骨折自体は私が悪いとは言えそれで文句を言われるのは納得がいかないと私は言い返し、口論がヒートアップし、結果2年生になるときにやめてしまいました。そして、そこから中学の間はずっと卓球部でした。
最後に、問題の高校と浪人の時期です。ここでは本気で全く運動しませんでした。まさにニートでした。今の私の体力の終わり具合の諸悪の根源がこの時期です。4年間全く運動やらなくて、やばいと思っていましたが、本当にやばくてやばいです。
こんな感じでそこそこ動いていた体を4年で完全に腐らせて今に至ります。体力つけたいと思い、頑張りますので宜しくお願いします!
また、上で少し書きましたが、今までに私は11回骨折したことがあります。このことを理由に親からはラグビーやることはかなり反対されました。前田さんも書いていましたが、怪我はしないよう筋トレや練習も頑張りたいと思います。
ラグビー部に入るまでについて書いていきます。
はっきり言って、私はラグビー部に入ろうという気持ちは入学当初1ナノグラムたりとも持っていませんでした。そもそもあまり運動する気も無く、体力はつけたいとは思っても、結局は楽な感じで行くんじゃないかと思っていました。学部オリエンテーションで一番最初に吹田キャンパスの医学科棟に行った時にラグビー部がビラを配っていましたが、「うわ、ラグビー部や」とびびり、メールアドレスを書く紙を無言で差し出された平良さんを見てびびり、医学科棟の前でやっていたラグビー部のバーベキューに友達に誘われたときも若干消極的だった位です。
しかし、そこから先はグイグイ引き込まれていきました。バトミントンとぎりぎりまで迷い続けていましたが、この出来事がなかったらバトミントン部に流れていたと思う位の出来事がたくさんありました。バーベキューでとても雰囲気が良くて良いと思い、先輩達にご飯に連れて行って貰ったり、部活を見学しながら部活を迷っている理由の不安について相談に乗って貰ったりしてどんどん素晴らしい先輩方に惹かれていき、最終的にはラグビー部に入ることを決意しました。
これから、体力をつけ、筋力もつけ、頑張っていきたいと思います。体力が無くて不安が大いにありますが、気持ちで行こうと思いますので、どうか宜しくお願いします!
こんな感じで入部しましたが、ラグビーは完全な初心者です。これから色々ルールも覚えてラグビーを語れるようになりたいです。ラグビーを語る先輩方は皆輝いて見えます。
書いていて気づいたら日付が変わってしまいました。
明日は部活なのでパソコンを閉じたらすぐに寝たいと思います。
拙い文章な上、一気に書いたので無いようにも自信が無く、長くて果たして読んで下さる人が居るのかすら分かりませんが、これで終わりにしたいと思います。
では、次は俺と携帯番号が3つしか違わない澤に書いて貰いたいと思います。繋がりについて5分くらい考えましたがこれしか見つかりませんでした。最後の方不利すぎるよ!\(^o^)/
以上、ありがとうございました、根岸克行でした。