信州への旅 ①  | 埼玉ウエスタンペタンク徒然日記

埼玉ウエスタンペタンク徒然日記

埼玉ウエスタンはマカロニウエスタンから。
C.イーストウッドならば二丁拳銃ですがペタンクなのでブールが2個というダジャレからのタイトル。
埼玉県最西部在住。

城巡り旅、必ず行こうと思いながらもまだという城、城というより城跡のひとつに上越市・春日山城跡。

 

やはり上杉謙信の城というのに魅かれます。戦国大名における有名人といえば人それぞれ、すぐにベストテン列挙できるくらいにおなじみかと思いますが、私の場合の共通項の最大ポイントとなるのは、「義」ある武人。

 

大坂の陣の折に、家康から「10万石」という「利」を持ち掛けられて、これを毅然と蹴り返した真田幸村やら、「義」の一字のための闘いに徹した上杉謙信とか・・・

 

その意味では、あまりにも外連味が強い伊達政宗などは好みの外、黒田官兵衛なども同様(隠居後に如水、水のごとしと

号したのはその裏返しもしくは家康からの疑いを逃れるためかもしれませんが・・・)好みの外(あくまでも個人の主観ですグラサン

 

上越市といえば、糸魚川。

糸魚川河口を遡上すると、安曇野ということになります。

安曇野の歴史を遡れば、おそらくまちがいなく安曇族。

アズミ、アツミ、アタミ等々、安曇野を出発点にその後全国に散らばり、地名にその痕跡を残しています。

 

古事記によれば、イザナギが黄泉の国から逃れ、筑紫日向の地で禊払えをした折に、次々と神々が産まれ、最後近くになって産まれたのが、ワタツミ・・・これが安曇族の始まりとか。

ちなみに一番最後の最後に産まれたのが、アマテラス、ツクヨミ、そしてスサノヲ。

 

安曇族のホームグラウンド、もともとは北九州。

金印でおなじみの志賀島も、ここに含まれます。

バリバリの海の民、海人族であることは確かで、ヤマト朝廷の対半島外交には欠かせない一族。

ところが、突如朝敵となり・・・

 

安曇族のその後については諸説ありますが、磐井の乱をきっかけにして筑紫を捨て、日本海を北上し、糸魚川河口から安曇野へ至ったというのも一説。

 

この安曇族伝説と、アマツカミに国譲りを迫られて諏訪の地に逃れたタケミナカタ(オオクニヌシつまりダイコク様の息子)・・・私のなかでは、重なってきます。

 

また余談ながら、安曇族の一部がさらに日本海を北へ進み、東北の地へ至ったとするならば、いわゆるズーズー弁が東北の地だけでなく、出雲にも残っているという事実にも納得できます。

松本清張著・砂の器でもこれは大きなミステリーのひとつになっていました。カメダ、カメダケ・・・殺人犯または被害者は東北出身者かもという、場面。

 

映画では、確か被害者に緒形拳さん、加害者に加藤剛さんでした。

 

そういえば、このところ就寝前のビデオ鑑賞は、大河ドラマ「獅子の時代」。

会津藩士に、菅原文太さん、薩摩藩士に加藤剛さん、江戸の旗本の娘に大原麗子さん・・・すでに全員亡くなられています。

他にも千秋実さん、沢村貞子さん(加藤さんの両親役)、児玉清さん(商人役)などなど。

 

児玉清さんといえば、傑作テレビドラマ「鹿男あおによし」のなかの快演技が思い出されます。

 

「獅子の時代」は、同じく大河ドラマ「八重の桜」と同様に、会津若松城攻防戦が重要なシーンとなるわけですが、こういうドラマを観るたびに、「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということを思います。

観る立場としては、当然ながらアンチ官軍、アンチ薩長グラサン

どうもここでも、「義」ある会津藩に肩を持ってしまいますね。

話がドンドンわき道にそれていくようで・・・

信州に旅した際に、飲んだ地ビール・安曇野ロマン。黒ビールに近い味でした生ビールウインク

 

諏訪湖一周の遊覧船乗り場。

いずれは琵琶湖でも一周の船旅、やってみたいものです。

 

諏訪大社のひとつ、秋宮。

注連縄のカタチが・・・でしょう?