一つの事に囚われない心 | 柳生久志のブログ

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大阪で氣功を使ったオリジナル整体術による民間療法活動、世界的な古武道の武術指導、ビデオカメラを使った映像制作活動をやっています。

今回はちょっと難しい話として、

まぁ私が武術で生徒に一つの例え話として、

よく指導時に口にするネタ話、

「千手観音の不動智」という話について、

私の言葉で一般の人にも分かりやすく挙げてみようかなぁっと。

 

昔の江戸時代に沢庵和尚という人が、

柳生但馬守に剣禅一如として説いたとされる、

「不動智神妙録」というものがあるのですね。

 

最近の若い人達は知らない人も時々おられますけども、

私の苗字の柳生が先祖とどこまで関係あるのか

までは分からないですけど、

柳生といえば歴史の教科書なんかでも出てくる

あの徳川家康とかで有名な徳川家の

剣客指南役として有名な一族でした。

 

その剣術の流儀として、

特に柳生新陰流は有名ですよね。

 

柳生新陰流というのも実際のところは、

新陰流剣術という流儀があって、

それを柳生家の人が引き継いだから

柳生新陰流と呼ばれているだけであり、

正式名称は新陰流なんですけどね。

 

私が武術を教えている上でこの名前な訳ですが、

ある程度の高齢の方であれば、

それだけ食いついてきたりかしこまってしまう人も

実は結構いたりしています。

 

それでかつ10代の頃と随分昔であれば、

当流武術と出会う前の事ではありますが、

実は私はその系統の流儀に関する剣術を2年ほど

実際に学んでいた事もあって、

その団体では一応段位も取得していました。

 

ですが、いろいろとそこでは分家や派閥等の問題も多く、

なまじ私がこの名前であった事でややこしい事に巻き込まれたり、

思い出したくもないような事もたくさんあるので、

細々とした事は挙げられませんが、

その武道は20歳の頃以来それっきりで

今現在はもうやっていません。

 

もうやる事はないですけど、

いろいろと悔しい気持ちも当時はたくさんありましたから、

せめて自分の中でその流儀は整理しておいて、

今後に役立てていければいいなっと考えて分析する為に、

関連書籍や資料になるものは片っ端から入手していた事から、

その中で技術のみではなく精神面で役立つ事も

たくさんあった訳ですね。

 

さて、話は戻りますけど、

沢庵和尚といえば、

宮本武蔵の時代劇なんかでもよく出てきますから、

たいていの人は知ってるんじゃないかなぁっと思います。

 

「不動智神妙録」は、

興味のある人は書籍で販売されていますので、

ぜひ一度読んでみてほしいなぁっと思います。

 

「千手観音の不動智」というのも、

その書に書かれた内容の一部分であり、

それを今回は私の言葉で分かりやすく挙げてみようという事です。

 

これで少しでも武術に興味を持ってくれる人が

増えてくれればいいんですけどね(笑)

 

とまぁそれはさておき、

その千の手を持つ「千手観音」ってありますけど、

何を表現しているかって考えた事があります?

 

一般の人もちょっと一緒に考えてみてね。

 

私たち人間は2本しかないですけど、

その2本の手を自由自在に使いこなせていますか?

 

おそらく利き腕の手を使いこなすだけでもやっとですよね。

 

ちなみに私は生まれた時は左利きでしたが、

教育上で強制的に右利きに変えられてしまいまして、

鉛筆やお箸は右手で使っていますけど、

時々自分が本当は右利きではないなっという感じも

あったりしています。

 

ちょっと話は脱線しましたけど、

利き腕一本でも使いこなすのがやっとなのに、

それが千本もあったとして使えるの?って、

そんな事って考えた事ないですか?

 

実際に使えるかどうかではなくて、

何を表現しているかでもある訳ですけど、

たくさんの手がある中で一つの手だけでこれをやろう!

っとそこだけに集中してしまうと、

他の手が何も作用しないですよね。

 

何を表現しているかっていうと、

分かりにくいかもしれないんですけど、

1つの手に心を囚われてしまっていては、

他の999本の手は何の役にも立たない使い物にならない、

だけど不動智というものを身に付けられれば

一箇所に心が止まらないからこそ例え手が千本あろうとも

全てを使いこなせるのだという事を

人々に示す為に作られた姿であるとされています。

 

剣道なんかをされている人であれば、

「目付」って言葉をよく使いません?

 

一本の木の中に青々とした葉っぱがたくさんある中で、

1枚だけ赤い葉が混ざっていてその葉が目に入った瞬間、

それ以外の他の葉は見えなくなっていませんか?

 

漠然と全体を見ていると

全部見えてるんですけどね。

 

一応私は高校生の3年間に剣道をやっていましたし、

当流の前にやっていた剣術の感覚が確かであるか腕試しに、

武道未経験者のふりをしてスポーツチャンバラの道場に

体験で行ってみた事もあったのですね。

 

武道未経験者のふりをしていたスポーツチャンバラでは、

有段者もみんなバシバシ打ち負かしちゃったものでしたから、

終わってから「剣道をされていますね?」っと同時に、

武道未経験者ではないとバレてしまっていました(笑)

 

「なんで分かっちゃいました?」っと聞き返すと

「いくら防具をつけていてソフトな剣とはいえど武器、

こんなので殴りつけられるとなると素人なら腰を引けたり

怯えたりするはずです。

しかしあなたは堂々と誘い込むように隙を見せたり、

紙一重の所で避けながら打ち返したりしていた。

さらには剣道だったら足を狙われたらたいていお終いですが、

あなたは高く飛び上がって避けながら打っていた。

失礼ですが何段をお持ちなのですか?」

っと逆に驚いたのが20歳の当流に入門前の出来事でした。

 

ウソは嫌いなので、

ハッキリ言っちゃうと私は剣道はやり始めて3ヶ月で

一級は取得していましたけど、

高校が工業高校であった事から電気工事士や危険物取扱者等の

資格試験の受験があれば昇段審査と日が被っていたのもあって、

その先の段位は取得していなかったのですね。

 

「実は剣道は段位は持っておらず一級で辞めたんです。

その代わりその後で古流の剣術をやっていてそちらは段です。

あとは軽くフルコンタクト空手とかやっていた程度です。」

と私は正直にお答えすると驚かれていましたが、

握手をしてからその場を後にしましたっけ。

 

その経験の上で挙げますけど、

剣道の試合とかチャンバラみたいな感じの事をやっていると、

弱い人というのは叩いてくる場所を見ているから

何をしようとしているかも分かるし、

首が曲がっていたり覗きこむように

猫背になってたりと隙だらけでしょう?

 

特に未熟な人だとそれが姿勢にも現れて

身動きさえ取れなくなっちゃってるので、

その瞬間一本取れてしまいますよね。

 

さらに気弱な人になると、

「こうされたらどうしよう?」みたいな感じでビクビクしているから、

ちょっと剣先がそれらしい方向に傾いただけで

ビクッとなって動きが固まるから

そのまま一本取れちゃいますよね。

 

武術の指導での良くない例を挙げてみるとすれば、

私が技の手本を見せてから練習させる際に、

だいたいのできない生徒達といえば、

その動きを真似しようとしすぎて

その部分だけに意識が行ってしまい、

力が入ってしまっては動きがぎこちなくなって

結局できなくなっていたり、

ついにはそこに対して自分で

「あーでもない、こーでもない」を言い出しては

訳の分からない理屈をグチャグチャこね始めたり、

素直に言われた通りではなく、

他所の関係のないものを無理やり自分で

取り入れだしては却ってできなくなったりと・・・。

 

型一つにしても、

ただ真っ直ぐに突くだけのシンプルな動作に対して

何の理屈もないのに、

そこに対して勝手に訳の分からない例えを

自分でし始めては、

「これは鎖骨が上腕骨の何とかという骨に対して

何度の方向に向いているのですか?」

みたいな訳の分からん質問をされたして、

「お前は分度器か!?そもそも必要もない解剖学用語使ってんじゃねー!」

っと、極端なようで過去に実際にそんな人もいました(苦笑)

 

一つの事だけに囚われない事と、
心を一つの事に止めない事、
全体を見極める事、

その戒めのような感じでしょうかね。

 

まぁ人間関係でいえば、

その人の悪い一部分だけを最初に見てしまったからと言って、

それ以外の部分を見ないまま一方的に嫌ってしまっていたけど、

実は全然そんな悪い印象とはかけ離れた人だったなんて事も、

あったりするかもしれませんよね。

 

その逆に良い人と思っていたのになんて奴だ!

みたいな事もないとは言えないのであって、

その点を見破る意味合いでも、

部分的な良いとこだけを見せられて惑わされないというふうな、

そういう意味でもある訳です。

 

などと言いつつ私もまだまだ未熟の身であれば、

ハッとする事はよくありますけどね(笑)

 

こうしてみると、分かっている人は置いておき、

モノを見る目が変わっちゃいませんかね。

 

私は武術を通して、

もちろん技術を身に付けて護身的な事を学びたいという人は

もちろんなんですけど、

修練していく事によってこういう事に気付いてもらえればなっ

という感じで指導している訳なのですね。

 

私が武術の生徒に教えている心得の例えの一部分として、

「不動智神妙録」の中の「千手観音の不動智」を

私の言葉で挙げてみました。

 

本当に日本の昔の先人達って偉大なんだなぁっと、

こういう所でも実感させられますね。

 

お断りしておきますけど、

あくまでも私の言葉で挙げていますので、

もし専門の人であったり、私よりも武術を熟練している

大先生のような凄い人が見られて説明や文章がヘタクソだとか、

間違えているみたいに感じられた場合は、

そこは突っ込まず大目に見てやってくださいね(笑)