( 壱 )
小学校の図書室で挿絵の多い「らしょうもんの鬼」という作品を見つけました。
仲間との肝試しで夜陰、羅城門を訪れた渡辺綱という武士が門の楼上に巣食う鬼と争うという内容です。
子供の私には「羅城門」がどういう物で、何処にあるのかも分かりませんでしたが、不気味な印象を持ったのを覚えています。
後になって、羅城門は平安京の南端に位置する、京の正門であったこと。
またその規模は、幅が訳32m、奥行き9m、高さは20mという、大きな建造物であったことを学ぶのです。
しかし、この門は816年と980年の二度に亘り暴風により倒壊し、それ以降は再建されませんでした。
紫式部の生誕は970年代ですから、果たして彼女は羅城門を目にしたでしょうか。
清少納言は966年くらいの生まれといわれているので、きっと少女の頃に目にすることもあったでしょう。
彼女が中宮定子に女房として仕えるのは、羅城門が倒壊してから10年以上後のことになります。
御所も度々火災で焼失しているので、紫式部や清少納言は、実際には何処で作品の執筆を行ったのでしょうね。
( 右下隅の門が羅城門 )
( 弐 )
次に「羅城門」の字を目にしたのは、高校の現代国語の時間です。
それは芥川龍之介の作品「羅生門」でした。「羅生門」は羅城門の当て字でしょう。
その不気味な門の描写に、あの図書室での記憶も蘇えり、急に興味を持つようになりました。
いろんな資料に当たり、想像による復元図や模型も沢山見ました。
せめて基壇の一部でも現存しているなら是非、現地を訪れてみたいとも思いました。
しかし、それらの石材は後代の為政者達が、別の建造物に流用したため失われているのです。
この芥川の短編の土台となったのは、平安時代の説話集「今昔物語集」の巻29第18話「羅城門ノ上層ニ登リテ死人ヲ見シ盗人ノ語」です。
羅城門は、永年の間、方々傷んだままに放置されていたようで、倒壊前には既に廃墟に近かったのではないでしょうか。
中心地を外れ人通りの少ない、寂しい場所に建っていることもあって、疫病死者が遺棄されたり、盗人が潜んだりして、当時の人にも不気味な場所として映っていたようです。
( 参 )
宮崎神宮の境内は子供の頃の遊び場でした。
広大な敷地は、その殆どが森で、陽の差さない園路が縦横に巡っていました。
その中に博物館があったのです。当時でも古めかしい建物でした。平屋造りなのですが天井は高く、見上げても窓からの光が届かず、暗がりになっていました。
無料なので、遊びに飽きると入って行って、展示物を観て回ったものです。
いつしか博物館は廃館となり、だいぶ離れた場所に新館が出来、旧館には誰も訪れなくなりました。
ある日、ふと思いついて旧館に立ち寄ってみました。
周りにある池や水路で甲羅干しをしていた亀達が、私の足音に驚いて次々に水中に飛び込みました。
枯れた池があると、その底には大きなカラス貝が、キック前のフットボールのような格好で突き刺さっています。
かつての博物館はというと ・・・想像以上に荒れ果てたその姿に、私は胸を打たれました。
玄関の基壇は中央部が大きく沈み込んで弧を描き、屋根瓦は方々で割れ、あるいは失われ、そこから雑草を生じています。鳥も沢山棲みついているようです。
二十年もの年月が経っていたのでした。
(写真はお借りしています)
私はハッと思い当たります。
倒壊前の羅城門は、今まさに人の訪れも無くなり傷んだまま放置され、夕陽に照らされ佇んでいる、この旧博物館の姿そのものではなかったのか。
私は歪んだ基壇の端に腰かけ、物思いに耽りました。まるで芥川の「羅生門」の主人公そのままに。
目を閉じ、心の中で旧博物館と朽ちる羅城門の姿を重ねていました。
(写真はお借りしています)
( 四 )
真夏の空の下、先を行く教授や助手達の後から、私は重い測量器具を背負い畑の中を歩いていました。
積乱雲が立ち昇り、行く手の空に満ちるが早いか大粒の雨が落ちて来ました。
農道の脇に見える陋屋を目指し、みんな駆け出します。
元は家畜小屋ででもあったろうと思われる、その古い木造の廃屋は
屋根の下が土間で、三方の壁は板材で囲ってあるだけです。
太陽に焼かれた周りの地面を、雨が叩くと蒸された空気が湧き上がり、小屋の中に充満しました。
中にいる我々は雨に濡れぬ代わりに、どっと汗が吹き出して来ます。
教授と助手達は土間に腰を下ろし、発掘調査の段取りを再協議しているようです。
雨はなかなかやみません。
土間に坐っていた助手の一人が、所在無さ気に板壁に寄りかかり眠そうにしています。
その助手の背にする古い壁板を、先程から教授が凝視しています。
立ち上がると側にやって来ました。
「 こ、これは! 」
突然、教授が大声を上げると皆は驚き、そちらを注視しました。
教授の指さす一枚の枯れた板材の表面には、幽かに墨痕が認められます。
「 先生、いったい何が書いてあるというのですか? 」
助手の一人が訊くと、教授は興奮して答えました。
「 これは!あの羅城門に掛かっていた扁額の一部だよ! 」
「 こんなところで見つかるとは! 」
羅城門と聞いて飛び上がった私は、ノアの箱舟の残骸を発見したにも等しい驚きと感動に、胸を詰まらせました。
「 ら、 羅城門の一部に手を触れることが出来るとは! 」
見果てぬ夢を手にした、次の瞬間
・・・私は 夢から目覚めたのでした。
注: 「扁額」 ・・・門に掲げる「羅城門」と記した大きな額