高野聖(こうやひじり)・・・高野山に籍のある下級の旅僧
岐阜県白川郷の近くに「天生峠」はあります。
泉鏡花の作品「高野聖」に出てくるのです。
作者は実際にその場所を訪れたことがあるのか、あるいは想像の上で描いたのかは知りません。
しかし、主人公の高野聖が天生峠を越す場面の描写は真に迫っています。
それは、鬱蒼とした樹林を抜ける、普段人通りの無い、昼なお暗い峠の細道の事件です。雨でも降りだしたのか、一斉に雨垂れがポタポタ落ちてきたのです。
首筋に落ちた水滴を払おうと、何気なく手で探ると、ぐにゃりとした物に触れます。慌てて引き離してみると、それは大きくて青黒い「山蛭」なのでした。
慄いて体を見回すと、すでに山蛭だらけなのです。思わず悲鳴をあげ前方に駆け出しました。
すると、声と足音を追うように更なる山蛭の落下が、にわか雨のように、ザザザザ、ザーと続きます。
駆けながら横目に見ると、道脇の草、下生えの枝葉も山蛭ばかりなのでした。
気も遠くなる思いで、ようやく長い樹林を駆け抜けた聖は、明るい陽光の下で、必死になって地面をのたうち回り、身体中の山蛭を引きちぎるのでした。
ご存じの方も多いでしょうが、蛭の吸った跡は長いこと出血が止まらず、全身を吸われでもしたら、見た目が瀕死の重傷者のようになるのです。
田舎の小学校に上がる頃、友人のKに誘われ、初めて泥鰌を捕りに行きました。
そこは水田脇の、大きくもない浅い排水路でした。短パン履きのKが慣れた手つきで、笊(ざる)で水を掬いながら進んで行きます。
後ろからついていく私は、Kのふくらはぎの後ろに、何か茶色っぽい物が何個かくっ付いているのに気づき、声を掛けました。
「おい、何か足にいっぱいくっついているよ!」
Kは自分の足を見ると慌てはじめ、泥鰌掬いも中止し急いで土手に上がりました。
「くそっ!蛭にやられた」
その様子が可笑しくて私は笑いました。
するとKが言うのです。
「お前も溝を出ないかよ。きっとやられてるぞ」
ハッとして土手に上がり、ふくらはぎを確かめると、四つも五つも吸い付いています。慌てて取り払いましたが、暫くは出血が続き、酷くむず痒いのでした。
この水中の蛭を観察すると、最初から体がちゃんとした形を成し、水面をスルスルと泳いで来て獲物に吸い付くのです。
天生峠の山蛭も最初から、ちゃんとした形を成し、これは樹上から足音目掛け落ちて来るのです。
私も仕事柄、山に入ることは多かったのですが、山蛭の害に会ったのは、或る有名な滝へ通ずる山道の調査の時だけでした。
山蛭の生息地には条件が有るのでしょう。
私の経験では、その条件は樹林に囲まれ、あまり陽が射さない湿った場所というのは勿論でしょうが、地形図で、その滝の位置を確認すると概略標高500mに位置しています。
偶然なのか判りませんが、この山系では、それより低い位置の道路や、より高い場所では被害を受けた記憶がありません。
そして、その滝へと続く樹林の道で、私たちは初めて山蛭に出会ったのでした。
計測のため道路から少し沢に降りた測量士が最初の被害者となりました。何か痒いと言って雨靴を脱いだのですが、出てきたのは、血を吸って赤黒く肥え太った二匹の山蛭だったのです。
白い靴下は真っ赤に染まっています。もう一人も膝下までの丈長の長靴を履いていたのですが、これも被害にあっていました。
なまじ長靴だと、いちいち脱いで確認するのが厄介です。
終いには全員が短靴になり、蛭の侵入の現行犯を抑えるべく、互いの足元を監視し合うことになりました。
作業に夢中になり、ちょっと目を離すと短靴のへりから入り込もうとしますが、気づいた人が大声で本人に告げます。
山蛭は、やはり声や足音に反応するようでした。でもそれは目視できるほどの大きさなので、まだ良かったのです。
道路脇の舗装面に鉄鋲をハンマーで打ち込んでいて、ふと気がつくと、私は無数の尺取虫に取り囲まれていました。
しかし尺取虫と思われた、その小さな虫こそ、ハンマーの金属音を目がけ集まって来た山蛭だったのです。
このくらい小さいと、ピクニックで敷く青いビニールシートもすり抜けて来て人を襲うのだそうです。
また幾匹かは樹上から人の声を目がけて落下してきました。まさに「高野聖」の世界です。
ただ何千匹も雨のように、ザザザザ、ザーと落ちてこなかったのは幸いでした。
蛭なんか全然平気だ、と言う人に、私は未だ出会ったことがありません。