おうち起業家サポート
お稽古サロンをプロデュース
『おうちdeレッスン』
山田梨絵(やまだりえ)です。
***
この記事は、『私自身のこれまで~お気楽、おまぬけな時代』からの続きです。
さて・・・
前回は、ざくっと、離婚したところまで書きました。
そもそも離婚話自体が、その頃の私にとっては、とんでもなく耐えがたいことで、離婚話が起こって以降、半年以上でしょうか、長らく、死ぬや生きるやのドタバタ劇をやっていました。
その後、結果、離婚が成立し、いざ、2歳の娘を抱えての、文字通りシングルマザーとしての過酷な日々がスタート。
●プログラマーとしての復職は断られる。
(その頃のプログラマーは終電帰りが当然だったため、シングルマザーでは勤められない)
●なんとか縁故で雇っていただいた会社は倒産。
●その次に雇っていただいた会社は夜逃げ。
●その次は、自業自得でクビ。
●更にその次は、通勤途中に私が大けがをしたことで断念。
・・・的に、次から次へと、ことごとく、勤められないような状況に追いやられる。
どうして私は、こうもとんでもないことばかりが続くのか・・・と腐っていましたが、後から思えば、それは、最終的に、私の飛躍につながるためには必要不可欠なことでした。
もちろん、それに気づくのは、もっと後のことですが。
最終的に、私は、真言密教の尼さんに弟子入りし、占い師としての免許皆伝をいただき、一占い師として、細々と活動を始めるに至りました。1994年のことでした。
週のうち半分を、派遣社員として日本語ワープロ(←ここでも時代を感じますよね~笑)の仕事をさせていただき、残りの日々で、本当に細々と、商業施設の中にある占いブースに座る。
遠路、時間をかけて往復し、場所代を支払って座っていても、お客様がゼロの日もあり、ひとり泣きながら帰ることも多々。
そんな中で、あることをきっかけに、ある商業施設の占いブース運営を任されることになったこと・・・それが、私をビジネスの道へと進ませることになる最初のきっかけでした。
なんとか、その占いコーナーを盛り立てていかなければならないと思った私が最初にしたこと・・・それは、ホームページを作るということ。
その当時は、『占い』という1ワードでネット検索しても、ほんの数件しかホームページが出てこない・・・というような、今では信じられないような時代。
もともとプログラマーをやっていた強みで、HTML言語でホームページを立ち上げたことで、東京のTVディレクターの方の目にとまり、TBSテレビ『そこが知りたい』に出演することになりました。
そのTV出演が、私の人生を一転させることになったのですが、その話は、また後日。
続きはこちら→私自身のこれまで~TV出演で変わった私の運命