ほとんど使っていなかったステレオ

昨日からフル活用。

 

CDクリ-ナ-を何度も掛け

音切れの無い状態で聴けるように

自分の物は勿論息子の愛聴盤も

置いてあるので色々かけて

懐かしい気持ちが溢れてきた。

 

我が家は音に溢れた以前だった。

 

それは息子が小学校を卒業するころまで

家でも車の中でもどこにいる時も。

 

親としては自分の趣味をあまり出さず

色々な音楽を共に聴いていた。

息子が赤ちゃんの頃からだが

僕と同じような人間になって欲しくないので

愛聴盤はほとんどかけなかったので

息子がどんな音楽に惹かれていくのか

そばで見ていて好奇心にかられた。

 

中学に進んでからは彼は日本文化に惹かれ

最初歌舞伎を見に行きたいと言った時には

そう来たかと一瞬とまどったし

何しろチケットが高いのでお年玉で

平成中村座の浅草公演を一人で見に行き

中村勘三郎さんの最後の舞台を見て

その面白さにひかれてから

段々僕と興味の範囲が違ってきて

親子の距離が出来始めた。

 

 

昨日その少し前に聴いていた

スガシカオとか福耳とか聴いて

懐かしさに涙が出そうだった。

 

親子で一緒に楽しむ期間って案外短い

保育園時代は濃密で

余り社交的でない息子とは

小学校時代は友人として

その後彼も育っていった。

 

最近になって彼から進学先を間違えたなと

親からすると今更変えられないよと

いうしかないのだが

専門性の高い高校大学時代だったのを

もっと一般教養としての勉強すれば良かったと

嘆かれている。

 

人間生きていくのに最も必要とされる

専門知識を身に着ければクイッパグレないかと

僕ら夫婦は思ってしまい彼は当時は気づいてない

日本の社会で求められる感覚を持てなかったと

今になって思っている。

 

 

そんなこと考えていない小学生時代

洋楽がほとんどだった僕は親として

日本語の音楽を聴かせた方が良いかと

思っていた。

選ぶのは彼だ。

 

僕は一部の音楽を除いて

あまり日本の音と歌詞に拘って無かった。

たまに良いなと思うミュ-ジシャンに

出会ってライブハウスに通ったり

でもほんの今思えば短い期間。

 

それが日本の音楽も悪くないなと思った時期

90年代かな。

何しろテレビで流れてるような歌謡曲とか

アイドル歌手などはすぐ消す対象で

ラジオで出会ったオリジナルラブから

少しづつ良い音楽もあるなぁと

聴くようになった。

 

そして生まれてきた息子は

結局親を見て育つので

反面教師で見てくれという親の勝手は

戸惑いを与えただけだったかも。

 

 

長い時間が必要だった。

少し話が出来るようになってきた。

1人暮らしで成長し

自分で描いていた宇宙は限界があり

そのかわり違う入り口を見つけ

これから成長していってくれれば

親は遠くから見つめるだけだ。

 

息子はどういう思い出をこの曲に

持っているか判らないが

僕は彼との良い時間のおしまい頃

良くかけていた思い出の曲。

スガシカオの午後のパレ-ド。