この10年を過ごして
今日何となく頭をよぎったことに僕が小学5年生だったとき学校の近くの高校のグラウンドに毎週日曜日みんなで集まってサッカーを一日中楽しんでいた事、当時はグラウンドの管理など強くなく門の脇からすっと入って言うなれば誰でも使える状態で僕らの外にはあまり利用する人もいず日曜日は目一杯そこで過ごしていた。お昼は弁当を持って友達の家の二階で車座になって楽しくおしゃべりしながらさっきのプレーについて話し合ったり午後のチーム分けをしたり。そこの高校は正門まで行くと通学路の片側が大谷石を組み上げた塀になっていて皆で何とかよじ登ろうと随分苦労しながら上を目指した。日曜日が楽しかった。定年を過ぎ10年経つ今年ふと思うことに規則に忠実でないと生きていけない息苦しさと正解というものが検索できることによって頭の中での自由度が相当低くなったのといつでもとりあえず褒めておくのが常識なのか辛口の意見を言うだけで叩かれるという全く理解できない世の中になってしまった。例えばサッカーの中継見てても悪いプレーが有ったらそこを指摘してもっと上の次元を目指そうというのではなく失敗を軽く流して良い場面だけ拾い集めてそれで満足する層に向けた放送ばかりで一向に緊迫した試合の一つ一つを表現できる解説者もいなけりゃそれを求めるファンもいないよう。どうでもないことを褒めてどうする。SNSで承認されるため?つまらないというより退化した社会に感じる。サッカーの事でいうと諸外国では辛辣なコメントが溢れていてそれに耐え答える選手達が活躍している。それが当たり前。ちょっと表に出てきた人たちみんなからマイナスな声が出ないよう気を付けながら生きているようでもっと自由な発言しても良いんじゃない。又言いっぱなしツール頼みの人も多いし。最近自分が今の世の中では不適格者だと痛感している。子育ても自分の時代に良かれと思ったことが今の常識を見ていると今じゃ子を持ちたくないと世代間ギャップに目を背けたくなる。でもそれが現実。もう今年後半にもAIに自分の事全て読まれて指示されるままに生きていくような気がする。電気が途絶えたらみんなどんな風に生きていくのだろう。