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 『川本喜八郎先生を偲ぶ会』を日記に書いた際、黒柳徹子さんのお写真を掲載したことについては、著作権のことがあるので黒柳さんの事務所の了解をいただきました。
その黒柳さんから数々のインタビューを受けたり、テレビで共演されたりしてこられた竹脇無我さんのことを、繋がりで載せるのは強引かも~~と、思いつつ。
 
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お写真を勝手にこうやって載せるの、まずいかな。 竹脇さんの事務所のこと、わからなくて。
お写真をこうしてブログに載せたことで事務所から問い合わせが来たら、却って嬉しいのだけど。
そしたら、「竹脇さんがかつて『欽ドコ』に出演した時の動画がPCで見れなくなってますが、竹脇さんのお姿を見ることが生きる喜びとなっているファンのために、見せて。♡ それから、『姿三四郎』日本語版(香港放映版は視聴可能)にYou Tubeで出会った時、私は感激。幸福の極みにいたのです、あとに違反映像として見ることが叶わなくなってしまっていて涙。涙でした。You Tubeに出せないのならDVDを販売してください。♡ 」と切なる願いを訴えたいのですが~~
 
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この写真は、Yahooショッピングで購入した『だいこんの花』のDVDのもの。
パソコンに映し出される画面を一生懸命デジカメ構えて撮ったんですが、反射して上手く撮れないのですよね。
ドラマの1シーン写真をブログに載せている人ってどうやってるのかな?
 
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Yahooショッピングでは 『ブラインドセーリング(主婦と生活社)/軍司貞則著』 という、無我さんの兄・竹脇義果さんのことが書かれた本や、『向田邦子 全対談(文春文庫)』等を購入しました。
雑誌切り抜き『二人の世界』をYahooオークションで競り落としたあとは、東京の古書店主さんとメール交換していて。「竹枠無我さんと栗原小巻さんは互いにとっての相手役ベスト1で、とてもお似合いの超美男美女カップルでした。・・・」なんて綴ったりしてました。

イメージ 6竹脇無我さん。 ・・・初恋の人なのです。私の記憶のスタート地点。
ものごころついた頃 ~ 母が見ていたテレビ映像が私の視界にあって。
「世の中にこんなきれいな男の人がいるのか」と目を見張ったのが竹脇無我さん。
私は昨年春にインターネット開設したのですが数カ月は、Yahoo検索に『竹脇無我』と入れて、あらわれる画面を閲覧する~~ことの繰り返しをやってました。
そして私の様な人が沢山いることに驚きました。
「10歳にも満たなかった子供の頃、親が見ていたTV番組の中にカッコイイ人を見つけ、親には言わず思いを幼い胸に秘めていた。」というのです。
「誰にも内緒で、その人目当てに毎週見るようになった。『大岡越前』の小石川養生所の医師、榊原伊織。(ああ、なにも調べなくてもすらすらとこの役名が出てくるところが、子供ながら、どれほど好きだったかわかるわ」というマダム ヴァイオラさんの文章は私が書いたんじゃないか!?と思えるくらいで、驚愕しました。
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『二人の世界』『姿三四郎』『清水次郎長』『大岡越前』『だいこんの花』・・・竹脇さんが若い頃主演されていたテレビドラマはどれも20%を超えていたので「親が見ていたドラマに出演していた竹脇無我さんが好きだった。」というファンの人達がブログに思いを綴っておられます。
この10月から上演されていた映画『大奥』は「竹脇無我さんに再会するために見に行きました」という文章を複数のブログに見つけました。

そんな、「子供の頃好きだった」というファンの方々の文章を見れば、好きな理由の共通点があることにも驚かされます。
「芸能界でやっていけるのだろうか」と視聴者側が勝手に心配してしまっていたような、竹脇無我さんの世渡りの上手ではないところ、二枚目なのにそのことにも冷めていて、役者としての欲や、たぎるような上昇志向を全く感じさせないところに鮮烈な印象を受けていたのです。
ドラマで役を演じているはずの竹脇無我さんの中に、10歳にも満たない子供だった私達はそんなことを感じとり、魅力として捉えていたのですね。
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向田邦子さんは竹脇無我さんがデビューして間もない頃『ヤング720』という若者向けTV番組の台本を書いていたのですが竹脇さんのことを、「若いのになんて横着な人間なんだろう。」と思ったと、『昭和55年の週刊朝日12月5日号(向田邦子全対談収録)』の中で語っておられます。
『ヤング720』の司会は竹脇さんに、松山英太郎さんに関口宏さん。
「レポーターのあなたに、先方に質問してほしいことを3つ書いておくと、松山さんと関口君はそこからつないで
10くらい聞いてくれるんだけど、あなたは3つしか聞かなかった。あんまりだから、プロデューサーに言ってもらったら、あなたは『聞くことない』って言ったというの。」とあきれる向田さんに、これまた竹脇さんは「聞いてほしいことを聞けばいい。」と答えています。
 
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のちに『だいこんの花』でも向田さんは竹脇さん主演のこのドラマの脚本を書き、無我さんは森繁久爾さんと出会う。
「森繁久彌さんにしても、僕のこと、『こんなやつがどうして役者やってるんだろう』と思ったこと、あるかも知れない。」と語り、向田さんは、「そうかも知れないわね。」と頷いておられる。
ちょっとちょっと向田さん、同意しないでよ。とファンとしては突っ込みを入れたいところだけれど、竹脇さんのその言葉で、森繁さんは
、『嫌なら役者をやめちまえ』みたいなことは言ったことはなかったんだ。ただ優しい眼差しで見守っておられたんだ。」ということを私は知る。
 
『だいこんの花』の時、竹脇さんがもう少しさもしくて、意地汚なかったらいいと思ったという向田さん。
「いやなんでしょう?それは。・・・私はね、もうちょっとがめつく、爪立ててはい上がるような芝居もみせてほしいなと思ってた。でも、この頃は、これはむしろ天然記念物だから、このまま趣味のいい内法(うちのり)演技でどこまでやれるか見せてほしいと思うようになった。」と、無我さんを激賞(?)しておられます。
 
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高校1年生で名アナウンサーだった父親、竹脇昌作氏が自殺した時、6人の子供が残され、竹脇家は窮状に陥る。父の友人の勧めで松竹に入り俳優の道を歩むようになります。
長男の竹脇義果さんは大学卒業後、ラジオ関東に入社、アナウンサーの仕事を始めるけれど、そののち視力を失い、退社を余儀なくされる。
そしてタケワキプロダクションを設立。義果さんは弟の無我さんのマネージャーとなって売り込みに奔走。
「弟をスターにするしか、家族が生きていく術がなかった。」と後に語っておられます。
父親に置き去りにされ、「家族全員が暮らしていくために無我が役者をするしかない。」と、悲壮感漂うまなざしをしている兄弟二人を目の前にして、森繁さんも向田さんも厳しい言葉は言えず、ただ、「がんばれ。がんばれ。」と、応援するしかなかったのかも・・・と本を手に胸を熱くする。
特に森繁さんにとっては、自身がNHKのアナウンサーをしていた頃の同僚の愛息子。ことのほか気にかけておられたことでしょう。
 
イメージ 12009年11月。森繁久爾さんが逝去されたとき、DVDで『だいこんの花』一話を見ていて、大スター森繁さんとの共演で緊張でコチコチの無我さんをリラックスさせるために急きょ設定されたという、父子で風呂に入る伝説の(?)シーンに出会いました。
無我さんの背中を流す森繁とさんの手には愛情がこもっていて「この後40年間、二人は実の親子のような関係を紡いでいくのだ」と心を打たれながら私は、涙がとまらなくなっていました。
 
 
「竹脇さんは50過ぎると、すごくいいんじゃないかしら。」と、『向田邦子全対談』に収められた対談の中で向田さんは語っておられます。そのとき向田さんは、50過ぎた竹脇さんが出演するドラマの脚本を、ご自分で書いておられる姿を楽しく想像しておられたのだと思います。
しかし向田さんは航空機事故で帰らぬ人となり、竹脇さんは、50代を鬱病で苦しむことになる。
向田さん不慮の死から半年経った時に、吉行淳之介さんが向田さんの全対談を年代順に並べ、対談者それぞれにコメントを依頼することを提案して刊行された文芸春秋社のこの本。30代の竹脇さんは中で
、向田さんは「無我ちゃんならできるわよ。」「あれでいいのよ、やってね。あれで。」といつも励ましておられたことを明かし、「向田さんは僕の様な役者をわかってくれる、数少ない一人だった。向田さんと別れた後も、僕はこの仕事を続けていかなくてはならない。年とった僕も書いてほしかったのに。」と、語っておられます。
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父竹脇昌作氏・親友の松山英太郎さん・最強の理解者の向田さん、そして森繁久爾さん。・・ 大切な大切な方々との別れを余儀なくされてきた竹脇無我さんの人生は過酷なものだったのですね。
でも、鬱病と闘っていた時、竹脇さんはよく仕事の夢を見たと、自著に書かれています。森繁久彌さんや加藤剛さんとの共演など、いい現場の夢が多かったと。
いやだ。と最初は思いながらやっていた俳優の仕事。病気になった時、自分にとって大切な仕事だと気付いたと綴っておられます。
大変な困難を乗り越え、これから竹脇無我さんは、若い時とは違った美しい花を咲かせるのだと思い、祈っています。
 
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 2011年8月21日 竹脇無我さん逝去。訃報が発表されたのは8月22日。
向田邦子さんの命日でした。ご冥福をお祈りします。
(2011.8.27追記。しばらくは私はこのことを書きとめることは出来ませんでした。)
 
     追悼 竹脇無我さん
(この動画は削除されてしまったのですが、私はページから消し去ることが出来ずに残しています。)
 
竹脇無我 関連サイト
「竹脇無我作品集」
http://www3.ocn.ne.jp/~muga/
「勇ましく高尚な生涯―18歳で逝った若き信仰者の日記」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4093873879.html
「のたうつ自由の日常 ― 姿三四郎」
http://d.hatena.ne.jp/tanglou/20101111/1289430940
「木屑鈔- 竹脇さんの訃報-あの頃の思い出」
http://blog.livedoor.jp/moneslife/archives/51659532.html
ヲタ嫁日記 ― 大岡越前出演者で”いい旅夢気分
「アグネスチャンブログ」
http://ameblo.jp/agneschan/entry-10994599549.html
mitakeつれづれ…伊織先生亡くなる - 俳優竹脇無我さん死去」
「石原裕次郎芸能生活25周年記念番組」
「落とし差し ― 竹脇無我さんと舞台」
http://www.kk-planet.com/blog/2010/06/post-28.php
 「マダム ヴァイオラの観劇+α日記 ― 初恋の人」
http://madam-viola.tea-nifty.com/blog/2009/01/post-355c.html
 
     「竹脇無我 根は純粋なくせに末っ子の甘えん坊のように時に駄々をこねる」 ― 田宮二郎 (壮絶より)