【愛情の形】 2 苦しかった子育て | 桜野園 お茶で一福、心ふぅわり

桜野園 お茶で一福、心ふぅわり

水俣で、無農薬や自然栽培の緑茶、紅茶、ほうじ茶を家族でつくっています。
そんなお茶づくりと、日々の徒然。
ちゃみさんのあげまん道から学び実践から生まれる気づきも満載でお届けします。


1 母とのこと に続いて

母が亡くなってから
本当に、泣いてばかりいたと思います。

また、その年は
夫も仕事のことでうつになっていましたし
経営的にも一番厳しい時でもありました。
(このあたりのことは、こちらに書いています。)


嫁いできたばかりの私の母が
突然亡くなって
親戚や近所の方に
「どうして亡くならしたっかい?」とよく聞かれました。

誰にも、原因は言えませんでした。
狭い地域社会の中で、知られることが怖かった。
私の中に、ひた隠してきました。


自分には生きている価値がないという気持ちが
ことあるごとに、湧いてきました。

母のなくなった原因も
自分がそう追い込んだのではという思いも
心の中に押し込めて
時間がいやしてはくれても
記憶がよみがえっては胸を押し付けられるような
苦しい気持ちになりました。


実をいうと、今でも
母の写真や書いたものを
直視することができません。




そんな中、私は妊娠し
子育てをしていくわけですが
1人目、2人目と
もちろん子供はかわいかったし
しあわせな気持ちもたくさんもらったけれど
お互いにとって、しんどいことの多い子育ての時間でした。


ひょっとしたら
私は母が私にしてきたことより
もっとひどいことを子供にしているのではないか

自分を責める罪悪感から
ますます、自分なんかいないほうがいいのではと
思うことが頻繁にありました。


親子の関係って
特に子どもの側は
どんな親だって、どんなことをされたって
やっぱり、愛そうとする

嫌いになれたら、ずっと楽なのに
親に認めてほしいって
いつまでも思う

亡くなっても、ずっと。

私自身も
私の子供たちも
みんなそうです。


本当は、もっと詳しく書きたいこともあるけど
心を閉じてきた数年間でした。


次回は、今に至る気持ちの変化を書いてみようと思います。