群馬寄り道編第3弾。「道の駅甘楽」から車で10分程度で行ける
富岡製糸場
です。
「群馬行ってみたい、見てみたい」場所の1つです。
このブログを書いている時点では一番新しい「世界遺産」です。(2014年6月14日登録)
この日も沢山の人で賑わっています。
無料で場内をガイドしてもらえるツアー(約45分)に参加しました。
ガイドさんたちが必ず説明しているのが、この「明治五年」の文字です。富岡製糸場は明治5年(1872年)に明治政府が日本近代化のために設置した「日本初の官営模範器械製糸場」です。
鎖国を解いた江戸後期の最大の輸出品は「生糸」でした。
品質の良い日本製の生糸の需要はたちまち高まり大ます。高まった需要に応えようとした結果、質の悪い生糸が大量につくられる問題が発生し、評価を下げてしまうことになります。
時代が変わり、明治になると政府は諸外国と対等な立場にしようと、国を豊かにし、強くする「富国強兵」策を掲げます。
富国政策の一環として「殖産興業」(新しい産業を育成し、技術の近代化を推進する政策)を実施し、一番効果的な方法として「生糸の輸出」が選ばれました。
評判を下げた生糸の品質改善と生産向上及び技術指導者の育成を目指し、洋式の繰糸(そうし)器械(繭糸数本を合せて1条の生糸として繰取る器械)を備えた「官営(=国営)模範工場」を作ることになり、建てられたのが富岡製糸場になります。
・・・というような製糸場の歴史や資料が展示されているのが、入場して正面に見える「東繭倉庫(ひがしまゆそうこ)」です。
パネルや映像などで製糸場などの紹介をしています。
繰糸(そうし)体験もできます。
主要な建物は木の骨組み、壁に煉瓦を積み入れる「木骨煉瓦造(もっこうれんがつくり)」で建てられています。
ガイドさんが指を指しています。
よく見てみると煉瓦には屋号が掘られ、煉瓦の生産者がわかるようになっています。
東繭倉庫を抜けると「西繭(にしまゆ)倉庫」へ
乾燥場にある「煙突」も見えます。
当時のまま残されています。(繰糸場内は見学可能です。)
向かいには日本人工女に技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の
住居「女工館」が建っています。
奥へ進むと「診療所」
製糸場建設の指揮者「ポール・ブリュナ」の住んでいた「ブリュナ館」
高床式でバルコニーが付いた「コロニアル様式」という建築様式の建物で、地下にはワイン貯蔵庫があるそうです。
どの建物も洋風な造りです。明治初期の文明開化の風を感じることができます。
奥の広場からは「鏑川(かぶらがわ)」や場所によっては「浅間山」を望むことができます。
真ん中に薄っすら見えるのが浅間山で、ガイドさんによると場内で唯一見える場所と言ってました。
ちなみに製糸場から道の駅甘楽に行く途中で・・・
左「妙義山」 右「浅間山」
世界遺産に登録されたのは正式には「富岡製糸場と絹産業遺産群」になります。
製糸場以外の「伊勢崎町、下仁田町、藤岡市にある養蚕関連の文化財」を訪問すればコンプリートになります。残り3つの文化財は道の駅に寄った際に訪問したいと思います。




















