・一路 Ⅱ ・・・(7) | 尚子の旅

尚子の旅

若かりし頃、我が人生に深く絡んでくれた一人の女性との、実話と創話の物語である。
他人は、それを
『小説・・・』
とでも呼ぶのだろうが、元より、自分にそんな力量の無いことは、自分が一番弁えている訳で・・・(汗)

 さすがに、その夜の宴の主目的が、この一年の慰労の忘年会である事を弁えて居られた紀子さんは、最初から、その雰囲気を壊すような無粋な事はなさらず、普通に宴は始まり、皆、和気藹々と飲んだり食べたりして、暫くは、何事も無く進んだのだが、子供たちのお腹が満たって、子供部屋へ引き上げた頃になって、紀子さんが、徐(おもむろ)に、男性軍の席に座って賑やかに語って居た宝田の背中に向かって、

「こら・・・、勇志・・・!」

と声を上げられ、手に握って居られた殻付きのピーナッツを一つ、投げ付けられた。

 その瞬間、尚子は、

「ついに、始まった・・・!」

と想ったのだが、呼ばれた宝田は、然程動じる気配も見せず、ゆっくりした動作で体を回転させて紀子さんを視ると、平然とした顔で、

「何ですか・・・?」

と云うと、向き直った眼の前に堕ちて転がって居たピーナッツの殻を拾った。

「ったくー・・・、あなた、今夜、皆に報告しなきゃいけない事が有るんじゃ無いの・・・⁈」

と云われると、宝田は、

「ああ・・・、その事ですか・・・!」

と云う表情で紀子さんを視て、

「後で、報告しようと想って居たんですがね・・・!」

と云うと、

「仕様が無い・・・」

と云う雰囲気で立ち上がり、燃えて居る暖炉の横に行って立つと、幾分畏まった表情と口調で、

「わたくし、宝田勇志は、今月末日を持ちまして、目出度く市役所を退職させて頂くことが適いました・・・!」

と云って、深く一礼した後、

「これまでも、何度かお騒がせ致しましたが・・・、今度は、正真正銘の退職辞令を、今日午前中貰いましたから、これで、晴れて、普通の一市民になれました・・・」

と云った後、

「と云っても・・・、正式な日付は今月末日付けですから、正式には、あと二、三日ありますけどね・・・!」

と、最後の方は、幾分茶化したような云い方をした。

 

 その表明を聴いた瞬間、女性陣の席に座って居た奥様二人が、まだ全く聴いて居られなかったようで、驚いたような表情をされたが、男性陣の方では、既に識れ渡って居た話だったので、誰も驚いた反応は示され無かった。

 その宝田の一言を待って居たように、空かさず、紀子さんが、如何にも怒ったような口調で、

「何で、こんなに急なのよ・・・!」

と仰った。

 宝田は、不貞腐れたような口調で、

「俺も、判りませんよ・・・!」

と応えると、一昨日の昼前から今日までの一連の経緯を、特に、紀子さんに向かって説明するように語り始めた。

 

 一昨日・・・。

 つまり、12月26日の昼直前に、電話で総務課長から

「ちょっと来るように・・・」

と呼び出された宝田は、

「また、残業伺いの事か・・・?」

と想いながら、総務課へ向かったと云う。

 その直前に受け持った「温泉保養施設」の入札準備事務でも、それまでのポリシーを曲げないで、ずっと残業伺いを出さずに9時、10時まで居残って仕事をして居たので、夜警の職員から、何度も

「伺いを出してくれ・・・!」

と云われて居たので、それが、また問題になったのだろうと想って居たのだと云う。

 ところが、総務課長の処へ行くと、

「ちょっと此方へ・・・」

と云われて、簡易な応接スペースへ連れて行かれ、いきなり

「君から出された退職願いを正式に受理したので、今年一杯で退職して善い・・・!」

と云う話だったと云う。

 瞬間、

「おう・・・、これで遂に辞められる・・・!」

と想って喜んだのたが、総務課長の言葉の後半の、

「今年一杯で・・・」

と云う言葉が耳に引っ掛かったので、そこを確認するために、

「今年一杯・・・と云うのは、今年度一杯ってことですか・・・?

それとも、今年一杯・・・と云うことですか・・・?」

と訊き直したら、総務課長は、

「然も当然・・・」

と云う顔で、

「今年一杯だよ・・・!」

と返されたらしい。

 宝田は、そこを語る時、然もおかしそうな顔で笑って、

「そう云われた瞬間・・・、一瞬、頭が真っ白になりましたよ・・・!」

と云った後、

「でも、辞めるって願い出たのは、こっちですからね・・・。

だから、『辞めさせる・・・』って云ってくれてるのに、『そんな急には、困ります・・・』とは云えないでしょう・・・⁈」

と云うと、幾分憮然とした口調で、

「だから、素直に『判りました・・・!』と云って、総務課を出たんですよ・・・!」

と云った。

 

 そこまでを、黙って聴いて居られた紀子さんが、今度は、夫の寛さんに向かって、

「役所って、そんな卑怯な事をするの・・・⁈」

と毒吐くように云われたが、寛さんも、宝田の話に戸惑いを隠せないような顔で聴いて居られたので、

「俺に訊かれても・・・」

と云われただけで、同じテーブルを囲んで居た他の職員の3人の顔を、見廻すようにされたが、誰もが、困惑の顔をして居るばかりで、何の応えも出て来なかった。

 

 男性陣の、その反応に、更に立腹された表情の紀子さんが、その眼を尖らせたような顔で宝田を視て、

「それで・・・!」

と、先を促すように眼で合図をされると、宝田は、また、淡々とした口調で、先を語り始めた。

 

 総務課を出た宝田は、建設部の自分の机に帰るまでの廊下を歩きながら、必死に、

「ここからどうすれば善いか・・・?」

と考えたと云う。

 と同時に、一方で、

「無性に肚が立って来た・・・」

とも云った。

「少なくとも、建築課長や部長は、この事を識って居たはずだ・・・!」

と想った宝田は、それを、今日の今日まで、今の今まで、自分に一言も告げず、

「識らんぷり・・・」

で通した直属の上司に、無性に肚が立ったのだと云った。

 だから、部屋に帰った宝田は、その脚で、そのまま建築課長の机の前に行き、

「今、総務課長から、退職願の受理を告げられました・・・!」

と報告した後、

「『今年一杯で・・・』と云われたのですが、後の引継ぎを、誰にすれば善いですか・・・?」

と問うたのだそうだが、建築課長は、まるで当惑した顔で、

「引継ぎの相手が、まだ決まって居ないので、引継ぎは、年が明けて、担当が決まってから引き継いでくれれば善い・・・」

と云ったのだと云う。

 そこで、宝田の、そこまでは、まだ若干冷静だった感情の線が、

「一気に切れた・・・!」

と云って、笑った。

 

 つまりは、辞職は、年内一杯で辞めさせて措いて、事務引継ぎは、どうせ直ぐには仕事も決まらないはずだから、年が明けて早々に担当を決めて、

「その職員に引き継がせれば善い・・・!」

との、役所側の魂胆が読めたのだと云う。

 当に、

「人を馬鹿にした話だ・・・!」

と想った宝田は、瞬間、

「ようし・・・、そっちがその気なら、その逆を行ってやる・・・!」

と決めると、そこから二晩三日を掛けて、28日までに、

「完璧な引き継ぎ書・・・」

を創って、

「課長の机に、叩きつけてやる・・・!」

と想ったのだそうだ。

 

 そう云えば、一昨日の昼過ぎ、教育委員会に現れた宝田は、退職願いが受理された事と、今年一杯で辞める事になった事を、松元係長や課長に報告した後、

「あと二日間で、引き継ぎ書を書かなきゃならないんで、これで失礼します・・・!」

と云って、先を急くように足早に事務所から引き返して行ったのだったと、尚子は、改めて想い出して居た。

 その時、まるで、回れ右をするように出入口へと振り向く動作の途中で、驚いて成り行きを視守って居た尚子と一瞬眼が合ったが、その眼は、明らかに

「遂に、遣りましたよ・・・!」

と嬉しそうに笑って居るように、尚子には視えたのだったが、その時には、もう自分の肚の中では、

「そっちがその気なら・・・!」

と云う闘志が燃え上がって居たのだと、今、改めて想い識らされていた。

 そして、部屋から出て行く際に、チラッと合わせたあの眼の中に、尚子が感じた輝(ひか)りは、

「自分が辟易して来た役所体質への、最後の反発の輝りだったのだ・・・!」

と想うと、何と無く気持ち快いものを感じた。

 

(つづく)