ようやく、秋らしい涼しさがやってきた。
(笑)
先週までの9月中旬の気象速報を見ると、
日平均気温の推移が、平年の日最高気温の推移と一致していた。気温は平年より5℃高い。(・_・;
週末の1ヶ月予報も10月下旬までは暑いと予想され、いつもの高温注意情報も出ていたのだが、やっといつものように外れる予報になってきたのかも知んない。(笑)
昨日の帰り道は、秋らしい雲が一面に広がっていた。
こういうのをひつじ雲とか言うのだろうか。
この涼しさを運んできた秋雨前線のお陰で、能登の方は大変である。
震災の復興も進まないうちに水害の追い討ちなんて止めて欲しい。(-。-;
全く、神も仏も無い。
先日出席した某シンポで、平等と公平は違うという話が印象に残った。
言葉の定義は人それぞれだが、ここで言われた「平等」というのは、例えば共産主義みたいに全ての人に ー その働き如何に関わらず ー 同額の賃金が支払われるような状態だ。
これに対して、例えば働きに応じた金額の賃金を支払うのが「公平」だ。
災害は、善人・悪人に関わらず、全ての人に平等に襲いかかる。
しかし、なぜ特定の地域だけが襲われたのか、なぜ特定の人だけが生き延びたのかは、突き詰めて考えると偶然としか言いようがない。
つまり、自然現象は平等だが人の運命は平等ではない。
日頃の備えに応じて生き延びられる確率が変わるのなら、その運命は平等ではなく公平なのかも知れない。
しかし、日頃の備えに割く余裕の無い人もいるだろう。ベースが平等でない所に公平なんてあり得ない。
詰まるところ、この世界は平等でも公平でもない。
だからこそ、人はせめて社会の中で平等とか公平を達成しようとするのだろう。それは運命に翻弄される人間が、時に血の涙を流しながら仰ぎ見る理念だ。
東京スカイツリーからの眺望
この見渡す景色の中に、一体どれほどたくさんの人がいるのか想像もつかない。
その数え切れないほどたくさんの人たちが、それぞれの想いと運命を抱えて生きている。
そしてそんなことはお構い無しに、空には雲が広がっているのだ。