前節では、オカルト論法の2つ目、
2. 無いという事は証明されていない。
について、実証という観点からその妥当性を検討した。
幽霊もUFOの宇宙人も謎の類人猿も、それが「存在しない」という事は科学的に実証されていない。
しかしそれは、これらの者共が存在するかも知れないという根拠にはならない。なぜならこの命題は、「有る事」を語っているのではなく、「無い事」を語る命題だからだ。「無い事が分かっていない」というコトは、「有る事」を示唆するのではない。「有る」という事を示唆するには、少なくとも「有る」という事を仄めかす根拠が必要である。
そして「無い事が実証されていない」という事実があるならば、それはむしろ、そんなモノは先から存在しない事を示唆する根拠となる。存在しないものが存在しない事は、実証なんてできないのだから。
さて次は、「論証」という観点から考えてみる。
論証とは、論理的必然性に従って何事かを証明する行為である。哲学論文なんかは、論証を試みるものと言える。
実物主義の実証とは異なり、いわば口先だけの証明だが、実物を要しない分。そのパースペクティブは広い。
先の「実証」も、事実関係を根拠としているものの、そこから結論に至る道程は論理的必然性に導かれた論証を含む。
「論証」という行為の性質が最も分かりやすいのは、数学的証明というヤツだろう。
数学的証明は、数的概念をその性質に従っていじくり回す。そして数的論理の必然性に従って何かを証明する。
そこでは、根拠も結論も数的概念であって実物ではない。しかし、数学的秩序に導かれた証明は、単なるゲーム感覚のお遊びに留まらず、実用場面でも役立っている。
例えば、算数の時間に習ったような図形の性質に関する各種証明がなければ、我々は図面を引いて建物の強度設計をする事なんてできなかった筈だ。
理論物理学の世界は、基本的に数学的な論証を行う。
例えば、パラレルワールドなどは、ある種の物理法則から数学的必然性をもって導かれる。
しかしそれは所詮は論証である。
パラレルワールドが実際に観測できない以上、「数学的にはそういう可能性もあるよね」という、これはそういう話である。
ここにおける結論は、可能態としてあり得るという話であって、それが現に存在するという事を意味しない。それには観測による実証が必要である。
なお、「パラレルワールドの存在は科学的に証明されているっ!」と主張なさるオカルトさんを時折お見かけするが、これは「実証」と「論証」を区別できていないのであろう。σ(^_^;)
さて、存在するかどうか分からないモノ、実物が無く実証できないモノが、
存在しない事を証明するためには、この「論証」が向いている。
つまり、そこで語られている「謎の何物か」について、そこで語られる性質に基づき、それが可能態としてあり得るのかどうかを論証してみるのだ。
これはネオ・オカルティズムでいつもやっている事である。(笑)
現代オカルトのスターである3U、すなわちUFO、UMA、ユーレイが可能態としてあり得るかは、さんざん論証してきたので、ここでは繰り返さない。
そういう細かい個別の事情に立ち入る以前に、かつての「隠された秘密の知識」が現代科学へと発展する道のりにおいて、棄却されてきた事どもを拾い上げる現代オカルトは、少なくとも論証のレベルでは既に無い事が証明されているのではないか?