最近、サザンの古い歌がよくTVコマーシャルで流れている。
ちょうど悩み深い(笑)学生時代によく聴いて、カラオケなんかで歌っていた曲なので、
何となく古い昔の記憶が蘇ってきたりするのだ。(笑)
ひとりごとの意味さえも
言い訳になるのは
自分の罪を忘れるため苦しまぎれに
通り過ぎる夜だけが
涙を隠してた
つれない風の音に紛れて
「逢いたくなった時に君はここにいない」より 作詞桑田佳祐
ワタシは元々、内向的な人間である。
いつも独りで自分の中に篭って、考え事に耽るようなヤツだったのだ。
それがここ40年ほど、陽気でよく喋る前向きな人間をずっと演じてきたのは、そうしないと生きていけなかったからだ。
想いは表現しないと伝わらない。
心の中で感謝していても、それを「ありがとう」と口にしなければ伝わらない。
心の中で心配していても、それを支える行動で表さないと伝わらない。
表現しないと何も伝わらないし、黙ってじっとしていると、それは周囲の人間にとっては何も考えていないのと同じだ。
独りきりではなく、社会の中で生きていくためには、自分を外に向けて出さざるを得なかったのだ。
それは、内向的であった自分にとってはストレスだったし、結構無理もした。
そんなヤツでも何とかここまで生きてこれたのは、こんな自分を受け入れて認めてくれる人たちがいたからだ。
学生時代は音楽。働き出してからは研究。
それぞれ厳しいコトも言われたし、それを受け止めて自分を修正するのもまた大変だった。
寄り添えば
何も言わず
分かり合えてたはずの
君だけが
抱き合うたび
駄目になるのを見抜いてた
(出典同上)
若い頃は、こんな歌詞に胸が痛んだりもしたものだ。
しかし今は何も感じなくなったのは、
今の妻と出会って、家族と共に生きてきた四半世紀があるからなのだろう。
もうちょっと感謝を表現しなければいけないのかも知れない。
しかし家に帰ると、クタクタで口が開かなくなるのだ。(-。-;