さて、記念すべき第100回である。

いつの間にか随分とたくさん書き溜めたものだ。(笑)

記念回なので、久しぶりにディープなオカルトネタに挑戦してみよう。もちろん「形なきもの」シリーズの続きである。



心霊写真って何なのだろう?


それは端的に言うと、霊が写っている写真だ。

しかし、霊なんてホントにいるのか?(・_・;

こう尋ねると、「心霊写真は霊がいるという証拠だ。いなければ写る筈がない」などと言われる。

この論法、何か可笑しくないだろうか?


なぜ、この写真が心霊写真だと言えるのか?

「それは霊が写っているからだ。」

いや、そもそも霊なんているのか?

「心霊写真に写ってるじゃないか。」


これが実は単なる循環論法であることにお気付きだろうか。(笑)

まず、「霊が存在する」というのを大前提に持ってきているから、この写真は心霊写真だという解釈が成り立つのだ。

霊なんて存在しないという前提に立てば、その写真はただのヘンテコな写真である。

つまり、心霊写真というのは霊が存在するという前提を受け入れて初めて成立する概念であり、いるかどうかも分からない霊が存在する証拠にはならないのだ。


しかし世間には、「霊がいる証拠」と称して、どっかからパクってきた怪しい写真をたくさん並べて熱心に解説して下さるヒトが結構おられる。

何なら「霊がいなければ、これほど沢山の心霊写真が存在するハズがない。もちろん捏造やカメラの故障などもたくさんあると思うが、全てがそれだけで説明できるとは思えない。中にはホンモノの心霊写真もある。」などと暑く解説される場合もある。


心霊写真が沢山あるから霊が存在する?

それなら、捏造やカメラの故障が沢山あって、本物が僅かしかないなら、霊なんて存在しないという話になるのではないか?(・_・;


いや、それ以前に、そもそも本物の心霊写真って何やねん。何をもって本物と見做すのか?

霊がいるという前提を無条件で認めない限り、本物もクソもないやん。

それらは様々な原因でヘンテコに写ってしまった大量の失敗写真の群れではないの?(-。-;



改めて考えてみよう。

「心霊写真」というのは本当に存在するのだろうか?


「沢山の心霊写真」とか言うが、それは毎日どこかで膨大に撮影されている写真の中の一体何%を占めるのか?

人が死んだら霊になり、それが写真にうつるのであれば、毎日たくさんの人がお亡くなりになっているこの世界では、もっとたくさんの心霊写真が当たり前に転がっているのではないか?

ワタシは今まで沢山の写真を写してきたが、幽霊なんて写ったコトはない。

プロ写真家が撮影する写真には心霊写真がないという有名な話がある。誰よりも沢山の写真を写してる人ほど、「心霊写真」なんて写さないのだ。心霊写真を撮影してしまうのは、大抵は素人である。


昔、フィルムカメラが主流だった時代の心霊写真は、水面のさざなみや木の葉が茂る樹冠、滝、カーテンの皺など、細かく複雑な模様が刻まれている中に隠れている、歪んだヒトの顔だったりした。これはシミュラクラだろう。

3つの点が三角形に並んでいたら人の顔に見える。普通の複雑な模様から3つの点を切り取って、無理矢理人の顔を当てはめたら、「おぉおぉぉ…」みたいな歪んだ顔に見えるのは当たり前だ。

デジカメが普及してから突然現れたリアル心霊写真は、どう見てもカメラのIC回路のバグか誤作動、あるいはお金目当ての加工写真やらそんなモンだろう。


こんなことを言うと、「現代科学は不完全なので全てを説明できるわけではない。人間の知識は不完全なので、人が未だ知らないコトもある」などと言われたりもする。

しかし、「人が知らないことがある」というのは、別に霊の存在を肯定する根拠ではない。むしろ、知識が不完全だから、霊が存在しないことを知らないだけだとも言える。

科学は不完全だから、デジカメの回路だって誤作動もするだろう。

なぜ君たちは不完全な知識しか持たないのに、霊がいるという前提で物事を考えてしまうのか?

なぜ科学が不完全だと主張するのに、カメラの誤作動を疑おうとしないのか?


その理由は簡単である。

我々は物心付かないウチから、テレビや雑誌、ネット記事などを通して「霊は存在する」「こんな写真が心霊写真だ」と繰り返し洗脳されてきたからだ。

だからそれっぽい写真を見たら、それを「心霊写真」だと同定してしまうし、加工でもトリックでもない失敗写真を見せられたら「本物の心霊写真」だと自動的に判断してしまうのだ。


「心霊写真」と呼ばれるヘンテコな写真は確かに実在する。

しかし、そこに実在するのは霊ではなく、単なるヘンテコ写真である。

そしてその写真を「心霊写真」であると同定してしまうのは、心霊主義信仰というお約束の賜物であろう。

つまり心霊写真とは、心霊主義信仰の中でのみ成立する説明概念であり、心霊主義者の間で成立する社会的お約束としての存在なのだ。


こんなことを言うと、「科学だって信仰だ」と言われることもある。

そしてそういうヒトに限って、ご自慢のベストショットを持ち出し、「この心霊写真は、カメラの専門家に見てもらったが、こんな写り方をする筈がない、原因不明だと言われた」とおっしゃる。

いや、なぜその時だけ「こんな写り方をするハズがない」という「不完全な科学」の結論を全面的に信じるのだ。(笑)

科学を信仰してんのは、他ならぬアンタらの方じゃん。(-。-;