アライグマ、キョン、ブラックバス、ミシシッピアカミミガメ、アメリカザリガニ、セアカゴケグモ、アメリカネナシカズラ、オオハンゴンソウ…
これらは、国内で問題化している外来生物である。書くのが面倒なほど、いくらでも出てくる。
外来生物は、生活環境被害のみならず、農業、水産業における産業被害も甚大だし、目につきにくい生態系被害も発生している。
これらに対する国の基本スタンスは、環境省の外来生物法における規制である。
海外からの持ち込みに一定の(あくまでも一定の)規制をかけるとともに、大きい被害が出ているものは根絶を目指すべき特定外来生物に指定して、地方公共団体はその対策を行うものとし…
要は、国はあまりやる気がない。(-。-;
そもそも、大きな被害が出てしまっている段階で既に手遅れである。(・_・;
被害が問題化する程度にまで増えて定着してしまった外来生物の根絶なんて成功した試しがない。
そんな大変なコトになったヤツらの対策を、忙しい市町村とかに丸投げしたって上手くいくハズがないではないか。根絶なんて人海戦術でやるしかないのだから。(-。-;
外来生物の対策というのは、徹頭徹尾、水際でやるコトだ。つまり、被害とか野生定着とか言う以前に、そもそも国内に持ち込んではいけないのである。
外来魚やペット動物然り。
そんなモンをイケイケで輸入させておいて、「ペットは最後まで責任を持って飼いましょう」キャンペーンなんて精神的運動をやっても実効性があるハズがないではないか。
まして、一度増えてしまったものは、もう手に負えない。
彼らだって必死で生きているのだ。
ジャンボタニシもウシガエルもアメリカザリガニもハクビシンも、全て産業目的の輸入が発端だ。
北海道に定着したセイヨウオオマルハナバチの特定外来生物指定のために生態系影響を調査した某先生は、「本当に影響が大きいのはセイヨウミツバチの方だが、今更規制なんてできないので黙視している」と言っていた。
ブラックバスは引きが強いとかで釣り人に大人気である。
ホームセンターのペットコーナーなんて語るまでもないだろう。
モンシロチョウだって、元々は数百年前に導入されたキャベツかなんかの洋野菜に付いていた外来生物だとされる。
そして今も、なんたら料理の食材と称して新たな外来作物が持ち込まれて栽培され、家庭の花壇も見栄えの良い外来植物に埋め尽くされている。
つまり外来生物には国民のニーズがあり、これを尊重している限り、外来生物問題は拡大こそすれ、収まるコトはあり得ないのだ。
そして野生定着して問題を起こしてしまったら、今度は被害対策と称して殺しにかかる。
皆んな可愛いラスカルが大好きだったんじゃないの?
親とはぐれたラスカルの幼獣と野山で出会って、大事に育てて友情(?)を育み、飼い切れなくなったら泣きながら山に逃してお別れする人生に憧れてたんじゃないの?
今のこの国には皆んなが憧れたラスカルのいる暮らしがあるんだよ。(・_・;
いや、別に皮肉を言いたかったワケではないのだ。(笑)
日本人は、元々外来生物に対して大らかである。
それは敗戦後に育まれた欧米コンプレックスからではない。
昔っから、日本人は海外の物事を積極的に取り入れる気性があったのだ。
それは飛鳥時代の漢字や仏教に始まり、鉄砲伝来、南蛮貿易、鎖国を挟んで明治維新以降は欧米の科学技術から風習まで積極的に取り込んだ。
今世間で流行ってる陰謀論なんてのも、外国産の話ばかりではないか。
新しいモノを外国から取り込むのが新進気鋭の精神とされ、日本に無い良いものをどんどん吸収することで、この国は栄えてきたのだ。それが日本人の気性である。
つまり、外来生物問題の本質は、人間同士の利害の対立である。
外来生物を利用して幸せになりたい人たちと、外来生物の被害で不幸になった人たち。
外来生物問題を解消するには、前者の人たちにその幸せを諦めてもらわなければならない。
逆に言うと、前者の人たちの生き方を尊重するから、外来生物被害は次々に発生するし、被害で不幸になる人が現れる。これは利害の対立なのだ。
被害に遭った人がその怒りを向けるべきは、知らない土地に放されて必死に生きる外来生物ではない。被害を減らせない行政でもない。自分の幸せのために後先考えずに外来生物を持ち込み、管理不十分で野外に蔓延させてしまった人々だ。
だから、被害者の皆さんは結束し、被疑者不詳のまま告訴すれば良いのだ。
意図的、あるいは非意図的に持ち込んでしまった輸入業者や貿易商。管理しきれずに放してしまった人たち。こういった人たちを告訴し、被害補償と対策費用、慰謝料として莫大な賠償金を請求する。
実際には誰も捕まらないとは思うが、今後同様のコトが起こらないための、一定の抑止力は発揮されるだろう。
今自分が飼育しているペットが、万一外に逃げ出したら、回り回って膨大なツケを払わされるハメになるかもしれない。
このことを、まず現実の脅威として実感していただく必要があろう。
そして、既に定着してしまった外来生物はどうするのか?
彼らは既に日本の生態系に根を下ろしてしまったのだ。今さら後戻りはできない。
この国にはそういうヤツらがいるという前提で、付き合っていくしかない。
尾瀬や知床、白神山地、小笠原、やんばるの森のような貴重な野生生態系は必死でガードしなければいけない。これは国民皆んなの貴重な財産なので国の仕事だろう。
一方、身近な都市生態系はどうするのか?
我々の身近な都市環境なんて、すでに外来生物だらけである。
モンシロチョウ、アメリカザリガニは言うに及ばす、セイヨウタンポボやその他名も知らない綺麗な草花の多くが外来種である。
そして、被害を起こしているのは外来生物だけではない。
ムクドリやカワウの糞害、イタチやモグラの農作物被害、最近はイノシシやクマも街に出没する。
都市環境は外来種と在来種が入り乱れた生態系であり、被害を起こすヤツらと愛されるヤツらの仕分けは外来か在来かとは無関係だ。
そして、そこに暮らす人は、相手が何であろうと、そういうヤツがいるという前提で生きていくしかないのだ。
我々の生活が輸入資材抜きで成立しない以上、そこに漏れなく付いてくる外来生物とのお付き合いは必須である。
これが日本人が作り上げてきた日本の生態系なのだ。
その栄枯盛衰を見つめながら、時に目の前のアライグマ被害と戦い、時にザリガニ釣りやタンポポの綿毛を楽しむ。
利害対立のジレンマと折り合いを付けながら、現実の実在としての外来生物との関係を構築するというのが、自然保護の理念に即した、外来生物問題の落とし所なのだろう。