さて、ここからは自然保護のもう一つの部門である実践について論じてみたいのだが…。
何せ「実践」である。
こんな風に思想信条の自由を盾にして、匿名の気楽さで言いたいコトを吠えるなんて実践とは程遠い。
理屈を捏ねるヒマがあるなら、WWFに募金の一つもしてみろという話だ。
ここでこれから論じたいのはそういう話ではない。
「実践」ではなく「実践論」。
先に論じてきた理念に照らし合わせてみることで、自然保護の現場で起こりがちなジレンマをどう判断すべきなのかを論じてみたいのだ。
人それぞれの思想信条は結構なのだが、判断を放棄してしまったら物事は前向きに進まないし、人それぞれバラバラでは何も成立しないだろう。
あまり前置きが長いと言い訳くさくなってくるのでこんなもんにしておこう。では本題に入る。
自然保護というのは、とかくジレンマに直面しがちなものである。
クマの有害捕獲一つとってもそうだ。
アレは別に、クマの肉で一儲けを企んで計画的にやっておられる訳ではない。猟師さんはボランティアでやっておられるのだ。
その背景には、人の幸せとクマの幸せが対立してしまうという残念な現実がある。
自然保護が直面するジレンマを大別すると、以下のようになる。
①人間同士の利害関係の対立
②人間と保護対象の生存権の対立
③静的保護と動的保護の対立
実際に起こっている問題が、全てこの3つの対立のいずれかに落とし込めるというワケではない。複数のジレンマが重なっている場合もある。
自然保護というのは、常に何らかの対立と共にあると言っても過言ではない。
逆に言うと、悩むべきジレンマがなく、真っ直ぐ最適解に到達できるような「自然保護のあるべき姿」論は、必ずどこかで間違っている。大抵は、気持ちの良い答えを優先して現実を単純化し過ぎた結果の事実誤認が含まれる。
例えば最近よく見かけるのはこんなのだ。
「野生獣による被害が増えたのは、人間が自然を破壊したからだ。野山を切り開いて野生動物の住処と餌を奪った結果、行き場を失った野生動物が仕方なしに人里に出てくるのだ。これは彼らの住処を奪った人間が悪いのであって、人里の被害は破壊された自然からの復讐である。だから、人間の方が遠慮しなければいけない。有害駆除なんてもってのほかだ。」
この手の「人間が諸悪の根源」説は古くからあるテンプレである。昭和生まれの人なら、マンモスはネアンデルタール人に狩り尽くされて絶滅したみたいな話を小学生の頃に聞いたことがあるのではないのではないだろうか。
我が国で野生獣による被害が増えた直接的原因は、単に野生獣が爆発的に増えた為である。
住処と餌を奪われたから生息場所を人里に移したわけではない。むしろ、彼らが増えるに十分な餌と住処があるから増えたのだ。
事実関係をキチンと確認すれば、シンプルなテンプレ説明で解決できるような単純な話でないことは直ぐに分かる。だから簡単に解決しないのだ。
では、以下にこれらのジレンマと一つずつ向き合ってみよう。