コンプレックスという概念を最初に提唱したのは、これもユングである。


コンプレックスという言葉は、一般には劣等感という意味で理解されているが、これは原義とは異なる。

敢えて意訳するなら、むしろ「こだわり」とか「しがらみ」とかいう感じが近いだろうか。

コンプレックスとは、心象、感情などの様々な心的要素が強固に結合した複合体であり、これがその人の心的傾向を無意識的に規定する。

そこにはもちろん、劣等感も含まれる。


他人の劣等感は、側から見ていると「そんなコトないよ」的なものが多い。

それは「気にし過ぎ」だったり、「考え過ぎ」だったりするワケだが、

本人にとってはそうならざるを得ない、抜き差しならない事情がある。

そこには、その人の過去の失敗体験や、それに纏わる否定的感情体験、いわゆるトラウマというヤツがある。

そして、さらにそのトラウマを強化するような同様の体験が、確証バイアスとして十重二十重に巻き付いている。

このようにしてガッチリと結合した一連の感情体験は、容易に解すことができない。

それどころか、同じような場面に出くわすと心が固まってしまい、同じ沼に何度もハマってしまう。

そして人はその心的バイアスに対する確信を深めていくのだ。


この構造は、何も劣等感のような否定的な心的バイアスだけに限った話ではない。

成功したプロスポーツ選手が、とんでもない厳しい訓練に耐えられるのも、

有名な芸能人がハラスメントの嵐に耐えてきたのも、

そのような苦労の末の成功体験という感情経験を積み重ねてきたからだろう。

これは肯定的なコンプレックスと言えるかも知れないが、

しかしそのバイアスは、時に厳しすぎる練習や職場のハラスメントを許容すべきとする判断を導くこともある。

結果オーライで形成されたコンプレックスが、同様の場面に出くわした時の判断を硬直化させてしまう。


人は、自分の体験の良し悪しを感情によって判断する。

様々な情動を伴う過去の体験が強固に結合し、その人の心の傾向を生み出す。

そこから否定的側面のみを取り出せば、

例えば芸能人がハラスメントに耐えているのは、我慢できずにブチ切れて凋落した誰かを見て来た恐怖体験が根底にあるなどという、劣等感ベースの解釈になってしまうだろう。

逆に、肯定的側面を取り出せば、それはその人にとっての「成功の方程式」になるのかも知れない。

いずれにせよ、人は過去の体験に否応なしに規定され、それに伴う感情が時に判断を硬直化させる。


ユング派のモデルに従うならば、

人の心の中では様々な心的要素が結合してコンプレックスを形成しており、

さらに様々なコンプレックスの集合体として心が形成される。

これに動物行動学を絡めると、人間の行動パターンは、遺伝的本能と連合学習の成果によって規定されるという話になるのだろう。

過去の体験によって形成されるコンプレックスとは、まさしく連合学習の成果物である。


さらに河合隼雄に言わせたら、通常は無意識的である様々なコンプレックスの中で、最も主導的なコンプレックスが、意識された自我だということになる。


①心的要素の複合体→コンプレックス

②自我によって統制される様々なコンプレックスの集まり→「私の心」


このような二階構造において、①は無意識、②は意識と捉えられる。

この捉え方は、概ね的を射ていると思う。

これは、人間の心の有り様を上手く説明するだけでなく、生物学的知見との整合性もある(ちなみに河合隼雄の兄である河合雅雄はサル学の大家である)。心と身体の一体性が確保できるのだ。

何よりも、精神科の臨床において多くの治療実績を上げているというのが良い。


しかし、ワタシはこのモデルが少しだけ納得いかない。

このモデルは静的な構造モデルである。

先に論じてきた心の時間構造が考慮されていないのだ。

この点を次に考えてみよう。