さて、どこまで行ったっけ。(笑)


自身の体験として事実関係を確認できない情報の真理性を、どのように判断したらいいのだろう?

これは、ネット情報と向き合う際に重要な素養だと思うが、そんなことは学校でも教えてくれない。

こういったことを間違いなく実行するための作法が確立されていたら、陰謀論者なんて現れないだろう。

ネットサイトが詐欺師の活動の場となることもなくなるはずだ。


「書かれている内容を真に受けず、色々と調べて、事実関係を検証してみることが大切だ」などという話はよく聞く。

しかし、これを一番よく口にするのが実は陰謀論者だということから、ある種の空気感も漂ってこよう。σ(^_^;)


提示された情報を真に受けないというのは、まあ、いい。

しかし、色々と調べることだけで、果たして誤謬を修正できるものだろうか?(・_・;

本当に必要な情報は、そもそも探しても見つからないかも知れない。

誰かが考案した完全な作り話なんて、その人が言ってるだけで、大抵は他の手掛かりなんてない。

例えば、私の正体が、地球からは観測できない1500万光年離れた未知の銀河の某惑星に住んでいた宇宙人の生まれ変わりだと告白したらどうだろう?

誰も知らない星に転生能力のある宇宙人が住んでいるかも知れない可能性を検証するための情報なんて、どこを調べても出てくるはずがない。(笑)

事実関係というのは、その事実が発生したその場に居合わせる人間にしか検証できない。

その場に居合わせていない人間が、周辺情報をいくら集めてみたところで、そこで語られる検証は、検証する人間の恣意的な推測でしかない。

ここで問われるのが「判断」という行為の本質である。(´・ω・`)


我々は、日頃様々なことを判断する。

情報の真偽を判断するということは、その情報を真に受けずに一旦は疑ってかかるということだ。

だから、「情報の真理性を判断するためには、その情報を真に受けずに疑ってみるのが大切だ」という命題は、単なる同義反復である。

「ボールを投げるためには、そのボールを大切に抱えてないで投げてみるのが大切だ」と言ってるのと同じである。これは何の中身もないアドバイスなのだ。(笑)


そうではない。

情報の真理性を判断するに当たって最初に疑わなければいけないのは、他ならぬ判断する自分自身である。

願望や先入観に引き摺られてバイアスのかかった判断をしていないか?

自分の判断を偏らせてしまう、気付かない陥穽があるのではないか?

いくらたくさん情報をかき集めたところで、それを判断する自分自身がバイアス塗れでは話にならない。

陰謀論者がやたらと「ソース」を持ち出すのは、言い換えると情報にばかり気を取られて、自分自身を疑うという部分が抜け落ちてしまっているということの裏返しである。

そして、自分自身を疑うためには、他人の話に耳を傾け、まずは自分が間違っているのかも知れないという前提で物事を捉える必要がある。

周囲の指摘に対して、手持ちの情報を並べてやり返すことに注力し、挙げ句「情報弱者は真実に気付かない」的な暴言で片をつけようとする人をたまにみかけるが、誠に残念としか言いようがない。(-。-;