人類はこの先、進化できるのだろうか?


ここまで、ありそうなシチュエーションをいくつか検討してみた。

交通手段が発達した現代においては、地理的隔離による異所的種分化は難しそうだ。

むしろ、地理的でない要因による生殖的隔離による同所的種分化が良いと思われる。

また、温暖化のような曖昧な淘汰圧も進化には繋がりそうにない。

ウイルス病のように、遺伝的に生死が決定され得る分かりやすい淘汰圧があれば良いと思われる。

他にもこんな事態が考えられるだろうか?


まずは、先に論じた思想信条による種分化、すなわちバカの壁を隔離障壁とする同所的種分化について、もう少し一般化して考えてみよう。


日本という国には義務教育制度があるので、子供たちは思想信条を固める前に、様々な人間のごった煮の中で暮らすことを覚える。

このような国においては、絶対逆らえない教祖様の指示による合同結婚式のような強制力のあるやり方でしか、生殖的に隔離された小集団を作るのは難しいかも知れない。

恋の衝動は本能であり、思想信条でどうにかするのは難しいのだ。(・_・;


逆に、インドのようなカースト制の国や、時折見かけるナショナリズムの強すぎる選民思想国家では、婚姻関係を作りにくい集団間での生殖的隔離が起きやすいかも知れない。

しかし、そういう国で、実際にそんなコトが起こっているものだろうか?(-。-;


こういう研究、すなわち身分の異なる集団間で遺伝子構成に差があるかというような研究は、その身分差別をより一層助長させる方向に働く悪魔の研究である。

選民思想家は、自分が属する集団の優位性を説明するためには、どのような理屈でもこじつけるということは、スピリさん達の無自覚発言(例えば「認めない者は霊格が低い」など)からも明らかだ。

思想信条の自由は結構なのだが、創造説や陰謀論のように他者を批判したり貶めることによって正当化される思想というのは、常に選民主義の種を孕んでいる。

こういったことは、結果として、異なる身分・思想間のバカの壁を隔離障壁とする種分化を促進する方向に働き得る。


「スピリに目覚めた者だけが、何たらチャクラがどうたらして、間もなく訪れる神のなんたらを生き残る」的な話は、結局は自分と同質の者だけが選択され、他の者が淘汰されることを願う選民思想であろう。

このような歪んだ思想は、人類を互いに相容れない小集団へと断片化させる。

しかし、それがロクでもない事態だということを、多くの人は過去の戦争体験によって学んできた筈である。

また、選民思想というのは、つまり自分を頂点に置きたいというサル山のサル的本能なので、下々の者たちを淘汰してしまっては成立しない。

神の審判を望む皆さんには誠に申し訳ないのだが、その審判の後に訪れるのは、人員不足に悩む「職場」で、下々の者たちが担ってきた汚れ仕事を全て片付けなければいけないという、地獄の後始末である。


人類が今の生活レベルを維持するためには、例え断片化されたとしても、互いに結び付き合い、力を合わせてやっていくしかないのだ。

だから、選民思想に取り憑かれた排他的集団、すなわちカルトは長続きしないし、淘汰抜きに下々の者を奴隷化して政治的支配を目指そうとしても選挙では相手にされない。

結局は公◯党のように、力のある団体におもねることによって我が身を守り、長い物に巻かれることで保身を図るしかないのだろう。

このように、断片化された小集団が、排他的思想による隔離を目指しても、現実の淘汰圧はこれらを再結合させる方向に向かうように思われる。

中身はともかく、力を合わせることで大きくなっていける集団が、結局は一番強いのだろう。

現代人に対して人知れず働いている最も強い淘汰圧は、実は同調圧力というヤツなのかも知れない。(・_・;