今週末はクリスマスである。
帰り道の駅前には、いつものクリスマス・ネオンが輝いている。
もう一年も終わりだ。仕事は全然終わらないが。(笑)
クリスマスが近づくのを感じると、何となく日曜日のサザエさんが終わった時のような気分になるのはワタシだけだろうか?(笑)
さて、今年はこのブログで色々な出会いがあった一年でもあった。
理屈ばかり並べてないで、たまには情けない内省の内容を晒け出してみようと想う。(笑)
雨は夜更け過ぎに
雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない
一人きりのクリスマス・イヴ
Silent night, Holy night
山下達郎「クリスマス・イブ」より
名曲と思う。
こういうシチュエーションにおける心情を、見事に表現している。
しかし、ワタシはこの曲が大嫌いなのだ。
なぜかって?
どうしようもなく、胸が苦しくなるからだ。(笑)
実際にこういうシチュエーションを経験した人間にとっては、この曲は激しい胸の痛みと共にトラウマを思い出させる、誠に苦しい、聴くに堪えない曲なのだ。(−_−;)
さらに、こんな曲はどうだろう。
さようならを 決めたことは
決してあなたのためじゃない
不安に揺れる キャンドル
悲しかったから
"ともだち"って いうルールは
とても難しいゲームね
もう2度と 2人のことを
邪魔したりしない
辛島美登里「サイレント・イヴ」より
なんという悲しさか。(;ω;)
一体、彼女のためにどうしてあげたらいいのだろう。
いや、ワタシには何もできないし、何をしても彼女の力にはなれないのだ。(;ω;)
これ以上、余計な説明は要らないだろう。
こういう曲を聴く度に思うのだ。
クリスマスとは、恋人たちのものであってはいけない。
クリスマスは、子供たちのものであるべきなのだ。
例えば、こんなのはどうだろう。
So, this is Christmas.
And what have you done?
Another year over.
And a new one just begun.
And so this is Christmas.
I hope you have fun.
The near and the dear one.
The old and the young.
John Lennon 'Happy Christmas' より
もう、お分かりだろう。
クリスマスというのは、自分が幸せになるためにあるのではない。
クリスマスは、他者を幸せにするためにあるのだ。
それは、自分を愛する場ではなく、神の子の1人として「汝の隣人」を愛する場なのだ。
クリスマスは、他者と幸せを分かち合う時なのだ。
恋人たちが、2人だけの幸せを噛み締めるということは、同時にワタシのようにあぶれた不幸な人間をたくさん生み出すというコトである。(;ω;)
その光と影のコントラストが、否応もなく大きくクローズアップされてしまうのが、クリスマスというシチュエーションである。
「恋人たちのクリスマス」は、一握りの幸せな人々と、その陰で涙を堪える不幸な人々を残酷に仕分けし、勝ち組と負け組の差を際立たせる、競争社会の典型イベントである。
君たち、そうではないだろう。
クリスマスは、皆に幸せを分け与える時なのだ。
子供たちに幸せを配って回る、そのことの幸せを噛み締める時なのだ。
だから、自分はもう大人だと思っているのなら、2人だけで、内緒であんなコトやこんなコトを楽しむ時にしないでいただきたい。
他者のために心を砕き、世界のどこかにいる苦しい人や悲しい人のために祈ってほしい。
と、こんな歳になって、今更こんなコトを考えてしまうのだ。(笑)
若い頃は、こんなコトは恥ずかしくて考えるコトもできなかった。
この調子で内省を続けていて、果たしてクリスマス・イヴの夜までに、神の救いは訪れるのだろうか? (笑)
皆さんにとって、今年のクリスマスはどんな時になるのだろう。
おやすみ〜。(笑)