今回紹介する妖怪は「ホンモノノ」である。

「ホンモノ」の入力ミスではない。(笑)


「本物の〇〇」という表現がよくある。


「ぬぅっ、これこそ本物のスパゲッティ!」

と海原センセーが言ったかどうかは知らないが(笑)、彼がこういうコトを言う時、そこには以下の2つのことが暗黙のうちに含意されている。


「世の中には実際に本物のスパゲッティと偽物のスパゲッティが存在する」

「自分はそのことを知っており、本物と偽物を見分けることができる」


この時点で明らかなのは、海原君が「本物のスパゲッティ」と「偽物のスパゲッティ」に異なる定義を与えているということだ。そして、その相違点を、少なくとも海原君は嗅ぎ分けることができる。


しかし「偽物のスパゲッティ」は「スパゲッティ」ではないのだろうか?

これらは、どちらも「本物の」「偽物の」という形容詞が付された「スパゲッティ」に過ぎないのではないだろうか?


もし「偽物のスパゲッティ」が明らかに「スパゲッティ」とは異なる別の何かであるなら、それには「セパゲッティ」とか何か別の名前が付くのではないか?

世の多くの人々が、これを「スパゲッティ」であると見做し、認めているからこそ、これは「スパゲッティ」なのではないか?言葉の意味なんてそんなモンだろう。(笑)

「偽キャビア」には、「トンブリ」という別の名前がちゃんとある。だからこそこれは「偽キャビア」なのだ。


違いの分かる海原君が、スパゲッティという概念を2つに分割し、一方を「本物の」、他方を「偽物の」と称するのは彼の自由だ。余計なコトを言ったら、他人の意見を否定してはいけないと怒られる。(笑)

しかし、それは違いの分かる海原くんonlyの定義であろう。

だから、「偽物のスパゲッティ」に別の呼称を与えて「セパゲッティ」と称するのではなく、コレは「偽物のスパゲッティ」と称するしかないのだ。


もっと面白いのは「本物の心霊写真」だ。(笑)

そもそも、心霊写真とは何なのだろう?

そこにあるハズのないモノが写っていたとき、それを心霊写真などと称する。

しかし、あるハズのないモノが本当に写っているのなら、それは無い物が写ってるだけなのではないか?カメラの故障とか、レンズゴーストとか、加工・合成とかで。

このように考えると、「心霊写真」というのは元々そういうモノなのだ。カメラの故障やレンズゴーストなどで無いモノが写ってしまった写真や、加工・合成で作った写真とか、そういうモノを「心霊写真」と総称しているのではないだろうか。(笑)

だから、ヘンなモノが写ってる写真を、これは「本物の心霊写真ですか?」と問われたら、それは間違いなく、無いモノが写り込んだ「本物の心霊写真」なのである。


もちろん、心霊主義者の見解が異なることは知っている。

「本物の心霊写真」とは、故障やゴースト、加工ではなく「本物の霊」が写っている写真であると。

しかし「本物の霊」とはこれまた何なのだろう?(笑)


・・・・・・・・

「本物の霊」とは「本物の霊能者」だけに見えるものであり、それが存在する証拠がこの「本物の心霊写真」である。

では、なぜこれが「本物の心霊写真だと分かるの?

「本物の霊」が見える「本物の霊能者」が「本物の心霊写真」だと言ったからだ。(笑)


これこそが妖怪「ホンモノノ」だ。(笑)


「本物の霊」の根拠は「本物の心霊写真」

「本物の心霊写真」の根拠は「本物の霊能者」

「本物の霊能者」の根拠は「本物の霊」


三段論法の頭とお尻を繋げたら、永遠にグルグルと回り続けるその議論には、誰も外から口を挟むコトができない。

自ら定義した「本物の〇〇」を、自分で有難がってるウチは、ヒトは同じ所をグルグル回り続けて、そこから何も学ぶことはできない。


頭に人参をぶら下げて、競馬場のコースをいつまでもグルグルと回り続けるお馬さんも、いつか頭の人参が角になり、「ホンモノノ」アレになるのだろうか。(-。-;