長い年月を経て使われてきた道具は物の怪となる。


現代生物学の最も重要な概念の1つである「遺伝子」もまた、長い年月を経て妖怪と化してしまった「道具」である。

私はその変化の瞬間に立ち会ったのだ。(笑)


もう、30年程前になる。

ちょうど、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」の翻訳本が話題になっていた頃だ。


当時学生だった私は、行きつけの居酒屋のカウンターで一人飲みしながら、隣に座る水商売風の女性がマスターに聞かせている愚痴を、聞くともなく聞いていた。


「この前TVでやっててんけどな。人間のやるコトって、みんな遺伝子にやらされてるんやって。

やからな、ワタシ最近はな、嫌なコト言う客がいてもな、『コレはこのヒトの遺伝子が言わせてるんや』って思うようにしてるねん。そうしたら、腹立たへんから。」


(イヤ、イヤ、イヤ、イヤ、笑)


「イヤ」を100回くらい連呼したい衝動をぐっと堪えながら、この不幸な境遇の女性が、自分なりのやり方で納得しようとしているのを、じっと聞いていたのだった。


これが妖怪「イデンシ」である。(笑)


自分の力ではどうにもならない時、人は絶望を「イデンシ」という言葉に置き換えることで、心の平安を保とうとする。


「何で必死で勉強してるのに、成績が上がらないの?」「頭の悪いイデンシを持ってるからだ」


「このままで将来は大丈夫なんでしょうか?」「それはイデンシで決まる」


「死んで無になるのは怖い」「あなたの意識はイデンシに記憶として刷り込まれて、子孫に引き継がれるのです」


「何でモテないの?」「ブサイクなイデンシを引き継いだからだ」


「あー、財布忘れた!」「それもイデンシ」


全てイデンシ、何でもイデンシ。そう言われると「仕方ねぇな」と納得するしかない。

人の絶望、苦悩、慟哭などを、妖怪イデンシはそっと包み込み、優しく溶かしていく。


「いや、遺伝子って、そんなモンじゃないから」

などと底意地の悪いコトを言ってはいけない。人類は、そこまで成熟していないのだ。(笑)


平穏な生活を送るためには、古くても使い慣れた道具の方がいい。

そして、人が心安らかに生きていくためには、物の怪と化した「道具」の妖怪、「イデンシ」の力が、まだまだ必要なのだろう。(笑)