前回は、心霊カルト論法の前提条件を論じた。

①心霊現象と呼ばれる様々な原因不明の現象の体験談がある。

「原因が不明である」という事実から言えるのは、彼がその現象について何も知らない、分からないということだけだ。
分からない現象に対して、特定の性質を付与することはできない。

「それは常識では説明がつかない」
「それは最先端科学でも解明できない」
「それは心霊現象である」

こんな風に、性質を付与することはできないハズなのだ。だって、その現象の状態を知らない・分からないんだから。(笑)

しかしそこで、分からない現象の正体や性質をアレコレ考えてしまうのが人間というものだ。
分からないままでは座りが悪い。
分からないなりに、手持ちの知識カードを駆使して、アレコレと推測(=憶測)してしまう。

ここで、人間の頭の硬さが発揮される。
つまり、分からない現象の解釈に際して、人は自分が知っている手持ちカードしか使えないのだ。
どうしても理解できない現象に出会った時、知らないことを想像すらできない人間に残された手持ちカードが「原因不明の心霊現象」なのである。


さて、今回は②を見てみよう。

②これらの現象は、死者の霊魂が存在すると考えたら説明がつく。

そもそも、最初の前提が「心霊現象」である。つまり、その現象は「心霊現象」として切り取られ、解釈され、認識された現象である訳だ。
ならば、「死者の霊魂」で説明がつくというのは、当たり前の同義反復ではないか。

こういう意地悪なことを言ってはいけない。(笑)
そもそも、何かが存在するということは、同義反復でしか説明できない。
私が手に持ってるスマホが、本当に存在するのかを、とことん問いつめていったら、結局は「あるからあるんだ」としか言いようがないところに帰着する。

それに、彼はきっとこうも反論する筈だ。
「心霊現象と呼ばれる現象の全てが、死者の霊魂だとは言ってない。勘違いや幻覚も含まれるだろう。しかし、中にはどうしても説明できない現象がある。こういった現象は死者の霊魂で説明できる。」

このすれ違いがお分かりになるだろうか。(笑)
彼にとって原因不明である現象が、彼にとっての「心霊現象」なのだ。そして、それは彼にとっては「死者の霊魂」で説明できるのだ。つまり、先の同義反復が、「彼にとっての」という接頭辞を付けて繰り返されているだけで、反論が成立していない。

なぜこんなすれ違いが生じるのか?
それは、冒頭の①前提をクリアしてしまった方にとっては、同義反復は問題ではないからだ。
①をクリアしてしまった方にとっては、「心霊現象」が存在することは、既に前提条件として確定してしまっている。
「心霊現象」が存在するんなら、あとはそれをどう解釈するかだけの問題となる。つまり、「本物の心霊現象」と「偽物の心霊現象」を区別することだけが問題なのであって、「心霊現象が存在するかどうか」は、彼にとっては既に片の付いた話なのだ。

さらに突っ込んで考えてみよう。
「原因不明の心霊現象が存在する」
この際、これはまあ、良いとしよう。
で、その「心霊現象」を、「死者の霊魂」という説明概念で説明できるものなのだろうか?
先に述べたように、「分からない」ということから言えるのは、単に「分からない」ということだけだ。
「分からない現象」の原因を、なぜ「死者の霊魂」だと同定できるのか?
そもそも「死者の霊魂」とは何なのだろう?

「死者の霊魂とは、心霊現象を引き起こすものだ」
「心霊現象とは、死者の霊魂が引き起こす現象だ」
この同義反復から見えてくるのは、結局、「分からないコト」を「分からないモノ」で説明しているという困った状態である。。
つまり、「原因不明の心霊現象は、死者の霊魂で説明がつく」という命題は、何も説明していないのだ。

もちろん、彼はこのくらいでは動じない。
「分からないコト」なんだから、「分からないモノ」を持ち出さないと説明できないのは当然だ。
「分かるモノ」で説明できるんなら、そもそも原因不明とは言わないだろう。それとも、お前はこの世界の全てを分かっているとでも言うのか?

つまり、彼にとって「原因不明の心霊現象」の存在は確定しているので、後は未知の現象を説明するための未知の要因を追求することが重要なのである。
何だか分からないが、とにかく未知の現象が確かにあるのだ。それは単に「彼にとっての未知」でしかないのかも知れないが、そんなことは「知らない彼」には分かるはずがない。これは人類が未だ到達していない未知の領域への挑戦なのだ。彼にとっては。

最初の素朴なボタンの掛け違いが、いつの間にか、このような認識の隔たりを生み出してしまった。(笑)
しかし、その最初の問題を無視すれば、彼の思考回路はそれほどおかしい訳ではないということがご理解いただけただろうか?

まだまだ楽しいツッコミどころはあるのだが、キリがないので、認識論的段階は一旦これで終了する。
次回は次の段階、存在論的段階への移行とその状態を論じたみたい。