あれから時間が経ったので、そろそろネタにしても良いだろう。
今回は少し残酷な話しになるので、閲覧注意案件かも知れない。読みたくない方はスルーしていただきたい。
また、読んだ上で私を軽蔑なさった方は、遠慮なくフォローを外していただきたい。
特に、スピリチュアル系の方にとっては、悪魔のエピソードになるので。

少しスペースを空けて…











昨年末に、地元の養鶏業者で強毒性鳥インフルエンザが発生したので、何万羽かの鶏の殺処分に動員された。
鳥インフルエンザは、広がると養鶏業へのダメージが非常に大きいので、国内で発生したら数日以内に発生地の鶏は全頭処分することが、家畜伝染病予防法という法律に定められている。
人には感染しないが、何せインフルエンザウイルスなので変異を起こしやすい。突然変異は単に確率の問題なので、放置して増殖してしまったら、人に感染する変異体が現れる可能性もある。いや、既に現れている可能性だってある。そうなると、危険な強毒性新型インフルエンザの出現だ。

そういう訳で、日曜日に突然動員がかかり、凍てつく冬の夜に、殺処分作業を2夜続けて行った。

真っ白な防護服に身を包んで、汚染地に入っていく。とにかく寒い。
薄暗いウインドウレス鶏舎に入ると、狭いケージには、ところ狭しと沢山の元気な鶏が入っており、マスクごしに「鳥臭い」臭いが立ち込めている。
鶏の熱気で少し暖かいのがせめてもの救いだ。
作業していると、時折死んだ鶏が目につく。自然死かも知れないし、インフルに感染したのかも知れない。
こんな状態の閉鎖空間で「鳥臭い臭い」を感じるということは、ウイルスを自分の身体の中に取り込んでしまっているということなんだろう。もちろん、作業後には予防のための抗インフルエンザ薬を1週間分程度配布されるので、大丈夫だとは思うが。

こんな寒くて辛くて我が身を危険に晒す作業は誰もやりたくない汚れ仕事だ。しかし、誰かがやらなければならない。
ならば自分がやればいいのだ。断る理由もない。これは自分が選んだ仕事なのだ。

と言えば、何やら格好つけた風にも見えるのだろうが、実際に私がやっていたことは、そんな綺麗な話ではない。

薄暗い鶏舎内は「生の気配」に満ちていた。
「コッコッコッ…」という静かな鳴き声が充満し、ケージから首を突き出した無数のの鶏がつぶらな瞳でキョロキョロしている。
無心に餌を啄む者もいる。それが最後の晩餐だとは知らずに。
「鶏って可愛いんだ」とその時初めて思った。

そんな鶏舎内で、私はケージから引き摺り出された鶏の脚を掴んで受け取り、手元にあるひと抱えほどの大きさのポリベールの中に無造作に投げ込んでいった。
鶏は家畜化されているだけあって大人しい。少し羽をバタつかせることもあるが、殆ど暴れずに投げ込まれていく。
鶏の脚を掴むと、生の実感が伝わってきた。
その「実感」を、私は無造作に投げ込んでいった。何羽かを折り重なるように突っ込んだ所で蓋をして外に持ち出す。
外には炭酸ガスのボンベが用意されており、蓋の小さな口からガスを入れる。1分ほどで殺処分完了だ。

そんな作業を、何度も繰り返した。
鶏の「生の実感」が、掴んだ手に確かに伝わってくるのを感じながら、悲しみも罪悪感もカケラも感じずに殺処分作業を繰り返したのだ。他の皆も、押し黙ったまま作業していた。

この動員は、半ば強制的な業務命令であったとは言え、拒否することも可能だった。
家で鳥を飼っている者、家族が妊娠している者など、感染時のリスクが高い場合は拒否できたし、思想信条を理由に拒否することもできた。
しかし、私は拒否しなかった。むしろ、積極的に動員に応じた。

この作業中、私は過酷な強制作業に狩り出されたアウシュビッツの収容者であると同時に、熱心に「生の実感」の息の根を止めていくサイコパシーで冷酷な死刑執行人でもあった。
もちろん、この程度の話をアウシュビッツに例えるのは、甚だ失礼ではあるが、言いたいことは分かっていただけるだろう。

私は状況の奴隷だったのだろうか?
それとも自由だったのだろうか?

自分では自由だったと解している。
私は私の意思によって、残酷で且つサイコパシーだったのだ。
これを他者に裁かれたら、それは当然だと思うし、言い訳するつもりもない。
閻魔様に申し開きを求められたら、私は冷酷な動物なので地獄に行きますとでも言うだろう。
自由意思を持つ「主体としての私」であるということは、そういうことだと思っている。