「美しさ」というのは主観的な性質であり、客観的な定量評価には馴染まない。

しかし、そこで簡単に諦めないのが人間というものだろう。(笑)

最初の議論を思い出して欲しい。
「花は美しい」という命題が、様々な矛盾した議論を導出してしまうのは、この命題が不完全だからだ。
「私は『花は美しい』と感じる」という風に適切に条件設定することで矛盾は解消される。

「美しさを定量評価する」という命題が自己矛盾に至ってしまうのも、この命題が不完全だからではないだろうか?
そもそも「美しさ」という言葉のニュアンスも曖昧だ。
適切に条件設定することで、美しさの定量評価は可能になるかも知れない。
具体的には、「美しさ」を客観的性質に置き換えてみたら、定量評価は容易になるはずだ。

我々は、どのような時に対象が美しいと感じるのだろう。
宝石の美しさと、楽曲の美しさと、絵画の美しさは異なるので、ここは取り敢えず先述にならって「宝石の美しさ」を考えてみる(ちなみに、私は宝石なるものをただの一つも持っていない:笑)。

例えば、輝きの強い宝石は美しいとされることが多いと思われる。
それならば、宝石に光を当てた時の輝度を測定すれば、輝きの強さは定量評価できる。
あるいは、形がシンメトリカルで規則正しく、なおかつその規則が複雑であるものほど美しい。
ならば、その形を決定するアルゴリズムの数の多さを算出すれば、指標とできる。
このように、我々が宝石に感じる「美しさ」を決定する客観的要因を抽出して、それをそれぞれ測定する。
さらに、各要因から我々が感じる「美しさ」を算出する公式を推定し、各変数に測定値を代入すれば、美しさの度数を定量評価できるかも知れない。
公式の推定が難しいように感じられるかも知れないが、そこは事例の蓄積がものを言う。
宝石の各要因値を測定した後、沢山の人にその宝石を見てもらって、単純に美しいと感じるかどうかを尋ねたら良いのだ。
「美しいと感じた人」率を目的変数、各要因値を説明変数として重回帰分析でもしたら、メカニズムは不明でも客観性の高い「美しさ度数」を算出できる公式は決定可能だ。
ただし、この公式が推定しているのは、厳密には「私が感じる美しさ度数」ではなく、「美しいと感じた人」率である。なぜなら、それを目的変数にして公式を作ったからだ。
つまり、ここでは「美しいと感じた人」が多いほど、「美しさ度数」は高いというのをアプリオリな前提としている。

つまり、「美しさ」を客観的に定量評価するためには、そもそも「美しさ」を客観的に定義しないといけないのだ。当たり前だが。
そうではなくて、私が主観的に感じる美しさを目的変数にしようとしたら、それは結局、先述の「宝石物差」の測定値を目的変数にすることになる。しかしこの測定を客観的にやること自体が不可能であることは既に議論済みだ。

よって、完全な命題は以下のようになる。

「宝石の美しさの程度は、それを『美しいと感じる人の率の高さ』であると仮定すれば、輝度や形状を決定するアルゴリズムの複雑さの測定値から、〇〇のような公式を用いて算出することで定量評価できる」

・・・これは、間違ってはいないが、いかにも美しくない命題だ。(笑)
多少、アプローチを変えてみても、例えば「美しいと感じる人率」ではなく、オークションの落札額などを目的変数にしてみても、結果は同じである。
察しの良い方はお分かりと思うが、主観的な性質を客観的な性質に置き換えて評価しようとすると、本来評価したかった主観的印象は失われてしまうのだ。