さて、因果関係とは複数の出来事を統合し、整理するためのフォーマットであると論じた。
これは、先に「差別の構造」で別に論じた「類型化」と似ている。
人間は、知覚した事物を、その性質によって類型化して認識する。事物の認識とは即ち類型化であると言える。

これと同様に、人間は体験した出来事を、因果関係で関連付けて認識する。これは、出来事の類型化であると言えるかも知れない。
そして、「類型化」と同様に、人間は認識した出来事を、因果関係によって整理したい誘惑にかられる。
階段で躓いたら、その原因を昨日の悪事に求めたい衝動に駆られてしまう。それが迷信と分かっていても、原因を求める気持ちが、ふと、そのような解釈を頭によぎらせる。
つまり、出来事を因果関係=迷信で統合しようとするのは本能的なものである。人間の認識機能には、因果関係というフォーマットが刷り込まれているのだ。
そして、「類型化」の衝動が「差別の種」となって偏見を導くように、因果関係を求める衝動が迷信を生み出す。
これが因果関係の陥穽である。