では、迷信の場合はどうだろう?

例えば、以下のような例を考えてみよう。
「階段で躓いて転んでしまった。普段こんなことはないのに。昨日、講義をサボったからバチが当たったんだろうか?」

不運な事が起こった時、その原因を以前に行った悪事のせいにしてしまうというのは、誰しも経験があるだろう。
もちろんこれは、迷信である。
「階段で躓いた」という出来事と、「講義をサボった」という出来事には何の因果関係もない。
しかし、このような迷信を信じる者にとっては、「講義をサボった」→「階段で躓いた」は因果関係で繋がっており、「バチが当たった」という一つの出来事を構成する。

つまり、迷信においても先の因果関係と同様の構造がある。
我々は、複数の出来事を互いに関連付けて統合し、整理する。その整理が因果関係=迷信である。

そして、その整理が「正しい因果関係」なのか、「単なる迷信」なのかを蓋然性に基づいて判断するのが科学であると言える。
ここで言う「蓋然性」とは、因果関係で結合していると想定される複合的な出来事の再現性であり、それは確率論的な判断である。よって、一回限りの体験は、その蓋然性の程度を検証することができない。
これについては、これ以上は触れない。