と、よく聞かれます。
ABAとは「応用行動分析」のことであり、行動の前後に働きかけ、望ましい行動を増やしていくやり方のこと、というようなことは、少し調べれば出てくると思いますが、
私は、ABAとは、
「動機をつくる」
の一言に尽きると思っています。
基本に立ち返るようですが、やはり「動機づけ」なのだと思うのです。
行動には、必ず動機があります。
苦手なことを行うとき、子どもには、やる動機はありません。
やっても大変なだけだし、失敗して嫌な思いをするだけ。不快な結果に終わるだけ。
不快が伴うと、行動は必ず減りますから、結果、やらなくなります。
そうなると、苦手はずっと苦手なままで、生活の何らかに支障が出てくることになります。
そのナチュラルな悪循環を裁ちきるために、動機づけをするのがABAです。
苦手なことを、プロンプト(お手伝い)をして遂行し、ごほうびをあげる。
この流れを一度やると、
ごほうびが欲しいという動機ができるので、苦手なことに取り組むという行動を起こせます。
動機がある限り、苦手に取り組むのは、本人の意志です。
このスタイルで、様々な、望ましい行動を増やしたり、望ましくない行動を減らしたりする試みがABAです。
ですので、
行動に着目する時、必ず、その行動の動機を正しく判断していなければなりません。
それによって、動機づけが変わってくるからです。
たまに、「ABAが合わなかった」と聞くことがありますが、たぶんそれは、行動の動機を読み間違えていて、ちぐはぐな動機づけになってしまったために逆効果になったのではないかと想像します。
私は、子どもとの関係は、とりわけ発達障害児の場合は、親が必ず主導権を握っておかなければならないと考えています。
子どもを支配する、ということではありません。
親が主導権を握る、ということは、ある程度の指示に応じられるということであり、それは、社会のルールを守ることや自己をコントロールするという力にも繋がっていきます。
知的障害のあるお子さんの場合は特に、からだが小さいうちに、指示に従える力を身につけておくことは重要だと思います。
お子さんの特性により、親の指示に応じるということがものすごく困難なことはあると思います。
受容的、共感的な関わりも大切ですが、知的障害児、自閉症児にとっては、時にそれだけでは、混沌とした正誤の分かりにくい世界になります。
もし、親が主導権を握れていない状況になってしまっているとしたら、
子どもの大好きなものを、タダではあげないようにしてください。
全ての親の指示を無視してしまう状況だとしたら、全ての指示に対する動機を作るしかありません。
大好きなお菓子、大好きなオモチャを、普段はあげないようにして、「やったらあげる」という環境に整えていきます。ごほうびと共に、うんと褒めます。
指示に応じて褒められる経験が増えれば増えるほど、そのほうが心地よい環境であることに、子どもは気づいていきます。
お母さんやお父さんの喜ぶ姿、お子さんをかわいいと思う気持ちは、どんな子どもも感じとりますので、必ず、その状態が「大好きなお菓子」のごほうびよりも機能的な強化子となっていきます。
ただし、子どもがいつも手にして遊んでいるものを取り上げるのには、注意が必要です。
(発達障害児は、物を取り上げると、前段階の感覚遊びに戻ってしまうことがあります。自分のからだで遊んでしまうことになりかねないので、物を取り上げるのは要注意です。)
余談ですが、「ひきこもり」も、行動をおこす動機がないために増えているのだと私は考えています。
昔、日本が今より貧しかった頃は、働く動機は「食べるため」だったはずです。
食べるものがなかった時代に、ひきこもりはいませんでした。
少なくとも、今ひきこもっている人は、働かなくてもご飯を食べられるのでしょう。
個人的には、私は、子ども時代は不自由なくらいがちょうどいいと思っています。
今、子どもなのに、大人並みに何でも手に入れてしまいがちな気がします。
私は子どもの頃、一刻も早く大人になりたいと思っていましたが、それは、自由が欲しかったからです。「好きなものを好きなときに食べる自由」「好きなテレビを好きなだけ観られる自由」「好きなだけ起きて読書できる自由」「好きなものを手に入れる自由」のようなものでしたが、、。
(長女が、今、親の怠慢のためにうっかり全て手に入れてしまいそうになっているので、心を鬼にしているところです。)
義務も責任も引き受けず、先に自由だけ手に入れてしまっては、大人になどなりたくなくなるのではないでしょうか。
最後に話が少し逸れてしまいました。
目の前の子どもを変えたいと思うなら、目を凝らして今の現実を見ることだと思います。
時に療育は、現実主義と理想主義に分かれるときがありますが、私は、リアリストです。
人間は愚かな生き物であると思っています。
それを前提にして、発達障害を持つ子どもたちが幸せになるためにはどうすればいいのか、日々考えています。