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のめしこき日記

「朝日新聞のウソ」は当該記事を削除させ、教育現場の名誉を
回復するために定期的にアップします。

石造物に関しては宜しかったら別ブログをご覧ください。
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 これから3月いっぱいがのめしこきサイクリングのハイシーズンです。熱がこもる体質なので暑いの嫌だから。今朝6時は-7度でしたが、日が上がりさえすれば寒冷地の冬だってそれなりに温かくなります。

 それに、この季節クマ・マムシ・スズメバチさんはおネンネですから。

 

 午前10時ですから人はおネンネしている訳ではありませんが、静かな裏道。

 

 真田間用水。沼田藩真田家(信之・信吉・熊之介・信政・信利)は、山間農地で米の収量をアップするため、初代~5代までずっと用水開発を続けました。

 

 町はずれの小川から用水路(黄色矢印)を街中につなげ、街中で田畑に水を今もいきわたらせています。

 

 その真田家が作ったという水牢が町はずれにあります。

 確実な史料は無いけれど、沼田藩5代藩主信利の「過酷な増税」に結び付けて、年貢を納められない農民の懲罰のために造られた水牢という「伝説」があります。ただ資料が無いので、もしかしたら真田家支配の前の時代あがつま氏(斉藤氏)の時代のものかも知れない、と解説されています。

 東吾妻町にも池の薬師水牢というものがあります。こちらも確実な資料はありません。

 

 も立派な石塔を立てていますが、のめしこきはこのオハナシを全く信じていません。百瀬の水牢(中之条町)・池の薬師水牢(東吾妻町)に寄るたびに、ケチをつけたくなるのめしこきです(ですから、以下の論を繰り返し述べています)。

 

・斉藤氏時代(戦国時代)なら、年貢を払えない農民を水牢に入れるでしょうか? 兵農分離しておらず武器を所持して戦になれば駆り出されます。大事な兵を痛めつける(減らす)ようなボンクラ領主はいないと思います。年貢を払えないから水牢に入れるなんてことをしたら、農民が反乱は目に見えています。当時農民がこんな大人とはとても考えられません。

 年貢が払えないなら命の危険が高い前線部隊に配置される程度でしょう。

 

・真田信利の時代なら、既に天草の乱(3代家光時代)も終わり、4代将軍家綱です。この時代なら

 ①法治政治の時代ですから書類が残っているはずです。

 ②水牢に入ったのは納税主体の本百姓? 本百姓を監督した名主? 水呑み百姓は本百姓に小作料を支払いますが、藩への納税の義務はありません。

 

 天草島原の乱はキリシタンへの弾圧・松倉勝家重(肥前日野江2代藩主)の苛政が原因で起こったと言われます。禄高4万石でありながら10万石の大名の城に匹敵する規模の城(島原城)を築いたため、領民から過酷な搾取を行いました。

 真田信利のオハナシも松倉勝重の話とよく似ています。

 ただ違うのは、松倉勝重は失政が原因で切腹も許されず、斬首(罪人)されています。一方、真田信利は奥平家預かり(謹慎処分)であり、長男は謹慎処分の後旗本に取り立てられています。

 

 ③水牢のような事をしていれば、松倉勝家に倣って斬首されていたか、よくて切腹だろうと思いますが、謹慎処分でした。

 

 以上のことから斉藤氏・真田信利の時代のものとは到底考えられない代物です。これは大東亜戦後にできたオハナシと考えています。

 根拠が無いものは町の指定から外した方が良いと思います。