平安時代造立の五輪塔は全国に4基。岩法寺石造五輪塔はその1基にあたり、国重文に指定されています。
1位 中尊寺釈尊院五輪塔(1166年・仁安四年)
2位 中尾五輪塔(大塔:1170年・嘉応二年)
3位 中尾五輪塔(小塔:1172年・承安二年)
4位 岩法寺石造五輪塔(1181年・治承五年)
高さ1.8m安山岩製で
地輪右側 施主○○入道
左側 治承五年辛丑十一月 日為源基光尊
と彫られています。
爲源基光尊と彫られており、当時石川郡を領有していた石川家の源(石川)基光のために○○入道が造立されたと彫られています。
解説板の「2代基光」は玉川村史の石川家系図(①頼遠→②有光→③元光→④光儀→⑤義季→⑥基光)によれば、3代元光にあたります。造立の治承5年当時は6代基光(1199年没)の時代です。為源基光尊は3代元光か6代基光かが問題です。解説板には被供養者として元光と基光の混乱が見られます。被葬者は元光なのか基光なのか結論を得ていません。
1181年に立てられましたから、6代基光(1199年没)の時代で、基光がかかわっている可能性は高いでしょう。逆修塔(生きているうちに自分を供養するため立てた塔)なら、為源基光尊と自分に「尊」をつけるかとなるとはなはだ疑問です。また、逆修塔であれば通常「逆修」の文字が刻まれますし、為源基光尊とは彫らず、逆修・源基光と彫るだけです。
施主○○入道は了全入道(基光の法名)と考える事も出来ますから、6代基光が施主となって、3代元光の供養塔を立てたとも考えられそうです。
問題は為源基光尊を3代元光と考える事ができるかですが、古文書の世界では誤字・当て字は当たり前です。元光を基光と彫る石工も居たでしょう。
岩法寺五輪塔は6代基光(了全入道)が曾祖父元光の没後82年に立てた供養塔と考えるのが妥当と思われます。

藤原秀衡により中尊寺釈尊院五輪塔(1166年・仁安四年)が立てられて15年後に6代石川基光により岩法寺五輪塔が立てられました。地・水・火・風空輪の4部分に分けて造形し積み上げる造立法・軒ぞりなど、中尊寺釈尊院五輪塔をモデルにしていると思われ、奥州藤原氏との結束を示すものと考えられます。基光の「基」は藤原基衡の偏諱かも知れません。
ちなみに、中尾五輪塔は阿蘇凝灰岩から一体として彫り出した一石五輪塔です。
史料
玉川村史、1980年。
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