高崎市菅谷町 菅谷大壱寺の宝塔~お墓の疑問~ | のめしこき日記

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 年末の高崎行きサイクリングでパンク(短い距離で2度も!)で諦めた、菅谷大壱寺の宝塔です。

 後疋間の宝塔とならび「完形・年号あり」の宝塔です。

 

 

 宝塔3基をアップ。

 解説板には、以下のように年記銘が示されています。

  ・康永2年(1343年)

  ・永和9年(1383年)

  ・明徳4年(1393年)

 南北朝時代が1336~1392年ですから、南北朝時代の宝塔といってよいと思います。

 「向かって右から」とか基準が示されていれば良いのですが。

 向かって左から

 文字が読めません。

 

 中央は

 明徳4年(1393年)と彫られています。3基の中では一番新しい宝塔です。

 

 右端は

 永和と彫られているように思いますが、康永と読めなくもありません。

 

 不確かなので、形の比較も。

 中央が最も新しい明徳4年(1393年)の宝塔。

 左と右でどちらが古いか? 笠の反りや張り、塔身の形が右端の方が中央に似ているので、右端が永和9年(1383年)の宝塔、左端が康永2年(1343年)の一番古い宝塔と推測します。