関東管領上杉顕定の墓~お墓の疑問106~ | のめしこき日記

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 この公園(南魚沼市下原新田)は2回目の訪問になります。前回は2021年11月で、地域の人が冬囲いをしている景色が良くて野次馬させてもらいました。

 今回は墓標を見たくての野次馬です。

 上杉顕定は山内上杉家11代当主で関東管領を長く務めた守護大名です。

 神聖な場所です。手水場がありました。

 右側の三重の塔が上杉顕定の供養塔。左はそのレプリカです。

 

 レプリカの方で文字を読んでいくと、

 上段に南無

 中段に阿弥

 下段に陀仏

 反対側にも南無阿弥陀仏が同じよう彫られています。

 

 草が下段の右側の文字が草が邪魔して読めないので、角度を変えて

 元禄三(1690年)と彫られているように思います。江戸幕府ができた87年後にできた関東管領上杉顕定の供養塔です。

 上杉顕定は永正7年(1510年)長森原の戦いで戦死(享年57歳)しています。戦国時代の初めの方ですから、直後に建てられたとすると1mもいかない程度の五輪塔(正仙寺心通院)なのかなと思いますが、大物ぶりが違いますからどうだったか? 

 この供養塔は元の場所から移転し、史跡公園として整備されたものだそうです。